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ビザが切れる。インドを目指そう。 カトマンズ〜ポカラ〜国境

2013年04月24日 20:48

                                   17:06,4/24、ゴア、インド


トレッキングが終わり、カトマンズで2〜3日過ごそうと思っていたが、結局5泊もしてしまった。
特に何をしていた訳でもない。やった事と言えば壊れていた靴を買い直したり、不要な物やお土産を日本に郵送
したくらいだった。郵送は意外にも安く、10kgぴったりで6000ルピーだった。そして1週間後荷物は無事到着している。山から下りて来た後のカトマンズは快適そのものだった。山に比べると全てが安く感じるし、何を食べても美味しい。もちろん日本食しか食べていないが。5泊した後、わしはインドへと急ぐのであった。わしのネパールビザは間もなく失効してしまう。

カトマンズからインドへは直行で行けるのかも知れないが、途中のポカラで一泊する事にした。
本来はカトマンズに3泊、ポカラにも3、4泊してゆっくりしたかったのだが結局ポカラで過ごす時間は無くなってしまった。ポカラへのバスは500ルピー。タメル近くの大通りから発着している。所要は7時間、意外と遠いのだ。

何度かの休憩の後ポカラに到着。
バスに居た日本人とアメリカ人と3人でタクシーをシェアし、市内へ向かった。
カトマンズで見た情報ノートに書かれていた宿を覗いてみたがいまいちだったので
近くにあった宿に宿泊。日本人宿だった。

本日の宿:ペンギンゲストハウス
1泊個室で200ルピー。フリーWIFI。この際も多くの日本人が宿泊していたが特に話す事はなかった。

blog5DSC_8391.jpg


宿が決まった後、せっかくなのでポカラを歩いた。
約10年前に訪れた事があったが、何も覚えていない。歩いているとカフェでお茶をしている
先ほどの日本人とアメリカ人が居たのでずうずうしくもご一緒させてもらいその後一緒に町を歩いた。

ポカラの湖。

blog5DSC_8397.jpg


湖周辺を歩いた後、ここでまた日本食。
ポカラではそれくらいにし、インドへ向かう準備をした。


4/13、ネパールビザの切れるこの日、ツーリストバスパークから発着する6:30発のバス(600ルピー)に乗りネパールインド国境へ向かった。ペンギンゲストハウスからバスパークまでは歩いても15分程。

ネパールでは本当に居心地の良い45日の滞在だった。ネパール人やシェルパに癒されながら、ほぼ毎日日本食を食べ、適度に買い物をし、トレッキングで知り合った仲間と酒を飲む。また戻って来たいものだ。

ポカラの標高はどれくらいだったのだろうか。バスはどんどんと硬度を下げて行き、気温がどんどんと上がっている気がした。インドに近づくに連れ残念ながらインドにはワシが今求める物は無いように思えた。
またインドッ人!!の日々が始まるのかと思うとはっきり言って億劫でもあった。
それでもデリーで働き出し始めた友人には会いたかったし、当初の目的だった南インドにはまだ行けていなかったのでまだまだインドを訪れる理由はあった。

バスに乗り始めて七時間。暑さは本格化してきた。
風があるだけマシなのだがそれでもカトマンズに比べると気温と湿度は上がりもはや快適な気温では無い。
この先が思いやられる。バスは何度か休憩をし、バイワラという街のバスパークで止まった。
ルンピニ方面へ行く人がほとんどでバスパーク手前でバスをおり他のバスに乗り換えていた。

スノウリまで行くのはどうやらわしと欧米人の女性二人。
ポカラではスノウリ行のバスのチケットを買っていたはずなのだが、どうやらバスはここまでしかいかないらしい。ここからスノウリまでは4kmなので直ぐだったがインドに近づいたせいか、バスがスノウリまで行かない事がどうも負に落ちなかった。こうやってジャブを少しずつくらいイライラが募る。

リクシャドライバー何人も寄ってきたがどうやら直ぐそこから国境へ向かうバスが出ているとバスのドライバーが教えてくれた。そして同時にバスが来たので20ルピーを払いスノウリに向かった。スノウリにはすぐ到着。またリクシャドライバーが寄ってくる。まだギリギリネパールではあったが、もう誰もここがネパールとは思えない程インド化している。

リクシャドライバーはここから国境までは2kmだ、と距離を誇張し客引きをする。
バスの中で一緒だったフランス人のリンダとイタリア人のマルティアと共にネパールイミグレーションに向けて歩きはじめると、直ぐそこにネパール側のイミグレーションがあった。全くあのリクシャドライバー。

ネパール人の笑顔が頭に浮かぶ。
ネパールに行ってからインドに戻るというのはさらにインド人が悪に見えてくる。
ネパールを離れるのは惜しかった。一週間ビザを延長しようと本気で考えたのだが、踏ん切りをつける事にした。

イミグレーションは出国のステッカーを張りスタンプを押すだけ。
陸路であっても色々とチェックがあった国も多かった事を思い出しながら何て簡単な物なんだと感心してしまった。するとフランス人のリンダが何やら変な事を言い始めた。、、

"私のビザの期限は4/11何だけどビルガンジの国境で、4/13迄に出ればいいと言われたのよ!"、
とオフィサーに訴え始めたのだ。

幾ら何でもそんな事はあり得ないだろ、と内心思ってしまったがその訴えぶりは迫力のある物で嘘をついているようには見えなかった。その後話は少しこじれ、リンダは殆ど憤慨状態。"ビルガンジのオフィサーがそう伝えて来たのだから私のせいでは無い!"、の一点張りだった。ただネパールイミグレーションのスタッフはそんな事はない、ビザに4/11と書いてあるのだからその日に出なければならない、最低でも4/12には出なければならないから、あなたがビザの延長代金を払わない限り出国スタンプは押せない、と言う。ごもっともと思ったが、4/12 に出れば問題ないと、はっきり言っていたのが気になった。であればわしはポカラにもう一日居れたのだ。

リンダは相変わらずもうお金が無いからビザ代は払えないの一点張り。
怒っている女性にかける言葉は慎重にならねばならない。それはわしが旅で学んだ教訓の一つなのだ。
こんな状況で本心に従い、"入国時にオフィサーがそう言ったのであれば、ビザの失効日の所を4/13に変更してもらうべきだった、よってこれはリンダのミスだ"、なんて口にしてしまおうもんならそれは彼女の怒りに大量の油を注ぐ行為になった違いない。わしはうんうんとただ頷くだけにした。ワシが何を言っても彼女の怒りを収める事もスタンプを押してもらう事も出来ないと思った。

彼女に残された洗濯はが嫌々でもビザ延長代を払ってインドに行くか、払わずネパールに留まり考えるかのどちらしか無い。結果、リンダはスタンプ無しでインド側のイミグレーションに行くと言い出した。
もしかしたら何のチェックもなくインド入国のスタンプをもらえるかもしれない。そうなれば何の問題もなくインドを出国できる。

が、もちろんそんな事は不可だった。
インド側のイミグレではきちんとネパール出国スタンプを確認した上でスタンプを押していたため、案の定ネパール出国スタンプはどこですか?と聞かれていた。そりゃそうだ、なんて見ているとまたネパールイミグレーションで主張した事を言い始める。どう考えても無駄な行為だと思った。アフリカの国ならまだお金を渡せば押してくれるなとも思ったがここには例外はなさそうだと思った。

こんな横柄な旅行者に対し、スタッフは思ったよりも親切だった。電話でボスに電話をし、この場合特別にスタンプを押してもいいかどうかを確認していた。それだけでもわしは信じられなかった。が、結果やはり不可。ネパールイミグレーションに戻りお金を払うしか選択肢は無くなってしまった。

彼女が本当にお金が無いとは思わなかったが、クレジットカードに問題が有り現金を下ろせなかったためあまり持ってないという事らしい。流石の彼女も諦めドスドスとネパールイミグレーションに歩いて行った。
わしとイタリア人のマルティア(かなり美人!wow!)はリンダが帰ってくるのを待つ事にした。

ネパールインド国境。人も多い。

blog5DSC_8398.jpg


しかしその間感じた地元のインド人の視線、何が言いたいかよくわからんが話しかけてくるインド人に囲まれどっと疲れた。ここは紛れも無くインドなのだ。直ぐそこはまだネパールなのにもうネパールの面影は0になったいた。リンダは無事にネパール出国スタンプをもらいインド入国は15:30に完了。さて、後はスノウリで有名な日本人のみを狙った強盗に気を付けるだけだ。と言うのは、、、世界各国にある情報ノートやブログなどでもたまに出てくるのだが、このスノウリには通称ジャイアンと呼ばれるインド人ギャングが出没し、数々の日本人被害者を出していると言う。ただし二年程前に一度逮捕されそれ以降出没し無くなったとも聞いたことがあったのでそこ迄怯える必要はないと思っていた。それに今は一人では無く美人と怒りみなぎるフランス人と一緒なのだ。

ここから鉄道駅のあるゴーラクプルまではバスで三時間。乗り合いジープで二時間だとインド人が聞いても無いのに教えてくれた。ジープで行くのが主流だと聞いていたので、声をかけて来たジープのドライバーについて行くことにした。ゴーラクプルまで一人150ルピー。少し歩いた所にジープが待機していた。すでにほぼ満席。
TATA製の大きくは無いジープに15人が詰め込められ待つことも無く走り出した。

インドへと続く。
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仮) 始めてでも出来る海外トレッキング ヒマラヤ編 Day21- 25

2013年04月24日 19:44

                                   16:03,4/24、ゴア、インド

今日ゴアを離れるつもりだったのだが、やっぱりトレッキングのブログだけは
終わらせたいなと思い1日延泊。今日は何もせずに起きてからパソコンに向かっている。
と言う訳で、ようやく最後!長かったトレッキングも終わります。


【4/3】

8時32分、太陽の光を浴びながら本を読んでいる。
朝食はまだ。本を横の石の上に置いて、辺りを見回すと視界にいた牛がいつの間にか
居なくなり、無かったはずの雲が山を覆っている。
普段なら何をしているのだろうとふと思った。カトマンズでの生活と言うと
昼前に起きて最初にする事と言えばインターネット、その後に飯を食べ、
町を歩く。今の様に朝起きてすぐに太陽の光の下で本を読むなんて事は殆どしなかった。

居なくなった牛はまたわしの視界に戻って来、異様に見えるその舌で鼻の穴を舐め続けている。
雲は先ほどよりも増え、さらにスピードを増して動き続けている。
シェルパの女性は鼻を歌いながら日々の日課をこなしている。こんな平和で静かな朝、
時間が止まってしまったように感じる空間で、辺りを見回すとそこにあった物は無くなり
変化しているのだと感じた。時間の流れを感じたと言うのだろうか。

ぼやーっと考え事をしながら過ごす朝も悪くない。するとジョンがやって来た。
彼は朝必ず"Good Morning, did you sleep well?"と聞いて来る。このやり取りも
明日で最後だ。わしは山を下りルクラまで。ジョンはもう少し歩き続ける。

タグナックのロッジを出る直前、宿の娘が日本語を話す事に気付く。
彼女は過去4度に渡って日本に来ていると言う。毎度剣岳の山小屋で働いていたんだと。。。日本の山小屋で。
なんとまぁ、シェルパの皆さん日本でも大活躍なんですな~。
残念ながら出発前だったのであまり話は出来なかったが、旦那さんは今でも毎年そこで働いているというので
また行ってみるよと返事し10時にロッジを出た。今日の目的地はカラバタールに次いで人気のゴーキョ。
宿の人が言う方向に歩いて行くと20分後、チベットの旗が立っている所に到着。
底を左に進むとNgozumba氷河が現れる。

氷河と聞いていたので氷の上を歩くのかと思っていたら氷河は岩と石でほぼ覆われており
その上人々の歩いた足跡がはっきり残っていたので氷河の上を歩くと言う感覚はなかった。余裕じゃん。
と思いながら氷河を歩いて行くと内側からむき出しの氷河が見える箇所があった。さすがにそういう光景を見ると
もしかしたら氷河が崩れる事もあると思い、逃げるように小走りしてしまう。

blog5DSC_8250.jpg

途中反対側からトレッカーが来たので10分程氷河の上で談笑。
スウェーデン人だったがこれが人生で初の氷河談笑。ヒマラヤトレッキングならではだ。
氷河を渡り終え反対側から見る氷河はなかなかの迫力だった。

渡り終わってからゴーキョ村まではすぐだった。14時半到着。
タグナックの宿の親戚がやっているCHOOYUと言う宿に向かっている途中
昨日のスイス人マシューが外で茶を飲んでいた。既に次の村に行っていると思ったので
嬉しい再会だった。宿のチェックインを先に済ませ、また戻ってくるからと言いとりあえず
CHO OYU View Lodgeに向かった。部屋代無料、ダルバード500ルピー、チャージ350ルピー。

荷物を置いてマシューの所へ戻る。
30分程そこで話をした。驚いた事にマシューはスイスアーミーでの山岳ガイドをした事も
ある登山家だった。彼でなく先祖代々山一家なのだと言う。
マシューは今からポルツェという村まで行くと言い、その後間もなく下山して行った。

午後の内に素晴らしい景色が見られるゴーキョリという山に行こうとも思ったが
雲も多く空かし疲れていたので明日の朝行く事にし、今日はのんびりする事にした。
それから暇つぶしに本を読んでいたが疲れたので目を閉じる。
ジョンと他のトレッカーはフランス語で何かを話している。かれこれもう二時間も。
"ウィー、セサ、ワラ、トゥタフェ、イグザクタモ!"の連発である。

不思議な事におばさんが話している音はエレガントに聞こえ、R(アール)の音もとても上品に
聞こえる。対して男二人が話しているを聞くと気持ちよく横になれない。違和感を感じてしまうのだ。
しかし本当に良く話すフランス人。一体何を話しているのかそろそろ知りたくなって来る。
結局フランス人らは仏教について熱く語っていたのだった、終わる事無く。

言う程空腹では無かったが焼きそばらしき物を食べた。
フランス人の会話には結局入る事もなくわしはそこに居たガイドと話をしていた。
ちなみにシェルパ後で美味しいはシブと言うらしい。数字の1~5も日本語にそっくりだった。
これまでに既に何度も思ったが、シェルパの顔は本当に日本人と同じ顔をしている。

ゴーキョからナムチェまで一日で行けるものと考えていたが、シェルパに聞いてみると
無理だと言われてしまった。なので明日はおそらくドーレという村に泊まり、明後日
ナムチェに戻る事になりそうだ。今日は二時間ちょいしか歩いていないのに何でこんなに眠いのだろうか。


【4/3の出費】
ブラックティー 80
エッグサンドイッチ 450
フライドライス 450
ミルクティー 80
フライドヌードル 360
トータル 1420


【4/4】

寒っ!と思い起きると6時半。
はがれた毛布をもう一度寝袋の上から書け、もう一度温まった後起床。
午前中に眺望の素晴らしいゴーキョリ登ってしまえば後は下りのみ。
ついにわしのトレッキングも終わりを迎えようとしている。

朝食の後、8時10分に宿を出発。
最後の上りとなるためちょっと全力で登ってやろうと思った。
ガイドブックの目安時間が上り下りで4時間。宿に居たフランス人の若い男が
上りだけで2時間半かかったと言う。1時間半くらいを目安にしようと思い登り始めた。

宿からも山の傾斜具合が見れたが、実際近くで見ると想像以上に急で、
20歩進んで呼吸を整えの繰り返し。流石に5000mを超えると足は大丈夫なのだが呼吸が
苦しくなり止まらざるを得なくなる。半分以上登った所で宿のフランス人ファミリーを発見。
ありがたい事にホットレモンをごちそうになり、5分程話をした。

ストップウォッチを見てみると36分過ぎていた。
フランス人の旦那も既に半分は登っていると言うのでもしかすると1時間で頂上まで行けるかもしれない。
そう思うとほっとレモンをすぐに飲み干し、頂上まで一時間を目指すよと言ってその場を去った。
振り向くと"Go!Go!Go!"と居ながらファミリーは手を振っていた。

傾斜は相変わらず急で、頂上が見えると愕然とし得てしまった。
もうすぐ近くまで来ていると思っていたが、走っても10分はかかるような距離だった。
ストップウォッチは58分を過ぎていた。1時間は諦め、1時間15分以内に目標を変更。
すると日本人のおばさん2人が下りて来た。日本人が居るとは思わなかったので少し立ち話。
”あなた一人なの?あらまぁ~すごいわねぇ~!"、と典型的なおばちゃんトークが繰り広げられ
笑ってしまった。おばちゃんは何処へ行ってもおばちゃんである。

目標時間も迫っていたのでまた歩き出した。
何だか夕日を見るために急いでその場所へ向かっているような感覚だった。
そしてようやく頂上に到着。ストップウォッチを止めると1時間13分58秒だった。
急いで登る必要は無かったが、何だかゲームの様で面白かった。そして天気も良く
全方向見渡せる景色は素晴らしかった。
トレッカーも少なく静か。約30分程その景色にみとれながら写真を取った。朝のため少し逆光だった。

ゴキョーリからの景色。
blog5DSC_8279.jpg

下りは35分しかかからなかった。
下っている途中先ほどのフランス人ファミリーはまだ登っている途中だった。
かなりしんどそうだったので、ささっと挨拶をして下り続けた。

ロッジに戻りミルクティーを一杯飲んでいるとジョンが洗濯を終えダイニングに入って来た。
わしはもうすぐここを出る予定だったので、先にこの20日間の御礼を言う事にした。
終わりよければ全て良し。一時はこのくそ親父、、なんて思った事もあったが良く話もしてくれるし
良く笑う良いおやじだった。

早々に荷物をまとめ、支払いを終わらせて今日は行ける所まで行く事にした。
ジョンはゴーキョ村の端まで見送ってくれた。ハグをし、11時45分、下界へと歩き始めた。

ここからはひたすら下り。トレイルのコンディションも悪くなく、トレッカーも少ない。
今日出来る事ならナムチェまで行ってしまいたかったが、ガイドがそれは厳しいと言ったので
とにかく行ける所まで歩く事にした。ドーレという村で泊まる事を勧めて来たガイドだったが
実際に歩き始めると、13時20分にマツェルモという村に到着。ダルバードを食べながら地図を見ると
ここからドーレまではすぐで、これであれば19時過ぎにはナムチェまで行けるかもしれないと思った。

マツェルモでは2人組のシェルパに会った。
2人に何処まで行くのか聞いてみるとナムチェだと言った。
やはりシェルパ達は1日でナムチェまで行ってしまうのだ。
2人はナムチェまでははここから6時間くらいかなと言い、一緒に行きたいか?と聞いて来た。
そうだね、と曖昧に返答し、歩き出したシェルパ2人組の後を歩いていたが15分もすると彼らは既にかなり先を
歩いていたのでついて行くのを諦めた。彼らに取っては特別なトレッキングでも何でもない。
ただ町に出るだけなのだ。

トレイルは山の中腹にある。こんな感じ。
blog5DSC_8342.jpg

何処で道を間違えたかわからなかったが、どんどんとトレイルが無くなり、かなり川のそばまで
下りて来てしまった事に気付く。辺りを見回すと、かなり上の方に正規のトレイルと思われるトレイルを発見。
一体わしは何故こんな所を歩いているのか。そのまま川の近くに向かい歩いていると上から何人かの人が
"そっちじゃない、上に上がってこい!"とジェスチャーをしているのが見えた。これはまずいのか、、。そう思い
すぐさま正規のトレイルを目指し登り始めた。とんだ体力の無駄だなと思った。それだけでなく先ほど食べた
ダルバードのせいか横腹がひどく痛んだため早く歩けなくなってしまった。仕方なく少し底に座り、
腹痛が治まるのを待った。意外にも腹痛はすぐに治まりまた歩き出す。
そして泊まる予定だったドーレに15時10分に到着。3時間でここまで到着した。
まだ体力も残っていたのでトーレをそのまま通り過ぎ、泊まる場所はもう少し歩いてから考える事にした。

途中でヘリコプターが緊急着陸。レスキューなのだという。
blog5DSC_8344.jpg


10日以上4500m以上の場所で毎日歩いていた事もあって、今日は特別体が軽かった。
バックの重さもかなり減り、今では10kgくらいだと感じる。それに下りだったので
かなりの勢いで進む事が出来た。体はトレッキング前に比べかなり鍛えられているのかもしれない。

ポルツェタンゴという村までは下りで快調だったのだが、ここで予想外の上り。
一体何m程登るのかわからなかったが、かなり登った。何のモチベーションも無く登り続ける。
そしてかなりの体力と時間を消耗し、その上りを終えた。既になナムチェまで行く気力を失ってしまったので
そこにあったロッジに今日は泊まろうと思った。モンラという村だった。景色がとても綺麗な小さな村。

景色がきれいに見えそうなMountain View Lodgeに泊まる事にした。
1泊100ルピー、ダルバードは450ルピー。

今日はほぼ歩きっぱなしだったのでかなり疲れてしまった。
ゴーキョからモンラまでの歩行時間は5時間。モンラからナムチェまでは1時間半と言うから、
ゴーキョを午前中に出てしまえばナムチェまで行くのは可能だったのだ。

ロッジにはオーストラリア人の3人グループが泊まっているだけだった。
トレッカーは少なかったが、家族経営のそのロッジのダイニングでは子供達が無邪気に遊んでいる。
こういう光景は久しく見ていなかったのでほのぼのしてしまう。ふと何かいつもとは違うものを夕食に
食べたいと思いメニューを覗いてみたが、やはり内容は他のロッジと同じだった。
幸い料金はかなり安くなっていた。文明は直ぐそこまで来ているのだ、そんな気がした。
本来であれば今日はナムチェでありとあらゆる欲望を満たすつもりだった。
シャワーであったりドーナツであったりコーヒであったり、インターネットであったり。
それができないので当てつけにコーラを注文。値段を聞いて後悔。
こんなに下って来たのにコーラはまだ300ルピーもした。

19時半にもなるとブリーフィングを終えたオーストラリア人グループは部屋に戻って行った。
今日はゴーキョリと合わせて合計8時間歩いたはずなのに、そこまで眠気が無いのはどうしてだろうか。
ベッドに行くには少し早すぎる。毎夜そうやって眠気が来るのを待って来たが、そろそろビールを飲んで寝たい気分だった。

【4/4の出費】
チーズトースト 300
ブラックティー 60
ミルクティー 70
ブラックティー 50
ダルバード 450
トータル 930


【4/5】

昨晩は内容はさっぱりだったたが、ロッジのシェルパファミリーとガイドが交わす会話を見ていた。
見れば見る程全員が日本人に見える。彼らもそばにぽつんと座っているわしに対してシェルパにそっくりだな
と思っていたりするのだろうか。

ゴーキョから100m程高度を下げ、変わった事と言えば物価が下がる、気温が上がる、
緑が増える、そして星が遠くなってしまった事。昨夜外で歯を磨きながらぼーっと上を見ていると
おとといまであんなに近くで輝いていた星達がかなり遠くなり、同時に輝きを失っているように見えた。

起きてチーズトーストを食べる。
昨日の疲れがまだの少し残っている、特にくるぶしが少し痛い。

今日は念願のナムチェ。2時間も歩かないだろう。
出発前からわしは興奮気味だった。ナムチェに行けば何でもあるのだ。
そろそろ出よう、もうすぐ8時半だ。

出発して50分。懐かしい場所に戻って来た。
ナムチェを出発しテンボチェへ向かった日立ち止まったKyangjumaのレストランで同じようにチャイを飲む。
前回狂ったように吠えていた黒毛の犬はすっかりおとなしくなっていた。
多分ここからナムチェまでは1時間。美しい景色を見ながらするトレッキングももうすぐ終わる。
少し不思議な感覚だが、小さな旅が終わるのだ、そんな感覚だった。
自分の本来の旅が人生だとすると、トレッキングはその人生の中の小旅行。そしてわしは今小旅行から
帰路についている最中の様なものだった。実際日本に帰ったらどんな風に思うのだろうか。
たぶんこの何十杯も色んな事を振り返り思うのだと思う。想像するだけで何だか鳥肌が立ってしまう。

さぁ後少し。とりあえずナムチェに行き16日ぶりのシャワーを浴びよう。
さすがに16日風呂に入らなかった事は今まで無いのだが、、トレッキング中は誰も臭そうな顔もしないし
実際全く臭くなかった。汗をかいていなかった訳ではないが高所のせいか比較的清潔に感じていた。

モンラからナムチェまでは1時間半だった。
昨日中に辿り着くことができなくもなかったなと思いながら勧められたAMADAPLAM LODGEを探した。
ロッジは以前泊まっていた宿から近く、何人かの人に聞くとすぐに見つかった。
宿は大きく、安い宿には見えなかった。
ダイニングは木目調で以前泊まった宿に比べれば遥かに高級感が出ていたし、すでに山小屋と言う物でもない。
勧めてくれたアメリカ人から聞いていた値段は1泊100ルピー。その事を伝えると100ルピーにしてくれた。
宿のスタッフに部屋を用意してもらい、真っ先にシャワーを浴びたいと伝え、すぐさまシャワーを浴びる。
シャワーは300ルピー。何とWIFIがフリー。ナムチェ唯一かも??

熱いシャワーを浴びながら3回洗髪をし、2回全身を洗った。
久しぶりに自分の全裸姿を見るのは変な感じだった。そして気持ち少し体が引き締まっている気もする。
耳の穴や鼻の穴までも徹底的に洗うと信じられない程すっきりした。Thanks Godである。

そして次は洗濯。大量に溜まっている訳ではなかったが、天気も良く
ちょうど日差しがあたっている所に干場があったので洗える物は全て洗ってやった。
まだ12時前。何て気分がいいのだろうか。体も洗濯物も綺麗さっぱり。充実感に溢れ太陽の日を浴びる。

腹が減ったので久しぶりの音楽のかかるダイニングでランチタイム。
音楽がかかっているなんて何て贅沢なんだ。久しぶりの音楽にそう思ってしまった。
注文したダルバードは見た事も無いような美しい盛り合わせ。ダルバードも盛りつけ次第でこんなにオシャレになるのだ。
幸せだった。既にわしのトレッキングが完全に終わった感覚になっていた。が、明日が本当の最後。
空港のあるルクラまで下りなければならない。

昼過ぎ、村を歩き念願のコーヒーを飲んだ。
久しぶりに完全にチャージしたIphoneを取り出し、コーヒーを飲みながら音楽を聞く。
自然と目を閉じ、これまでのトレッキングを思い出し、無事にここまで帰って来た事に安堵を感じる。
コーヒーを飲み終え、特に何もする事が無くなってしまったのでロッジに戻りインターネットをした。
フェイスブックのメッセージを見てみると、旅仲間のカップルが明日カトマンズから飛行機でルクラに到着すると言う。彼らもエベレストベースキャンプを目指すらしい。何たる偶然。ルクラに行く事に何のモチベーションも無かったわしにはとても嬉しいニュースだった。2月にバラナシで会って以来の再会になる。

しかし今泊まっているアマダプラムロッジ。夜も温かく居心地が良い。
このトレッキングで泊まった中では文句なしで一番。宿泊費が100ルピーにも関わらず、食事前には
熱いおしぼりも出してくれるし、テーブルにはキャンドルにランチョンマット。何だか高級レストランで
食事をしている気分になる。心身ともに癒され完全にリラックスしているのを感じる。
明日ルクラまで歩いてわしのトレッキングは終わる。もう20時20分。部屋に戻ろう。


【4/5の出費】

ダルバード 480
ブラックティー 50
ホットシャワー 300
コーヒーとケーキ 400
インターネット 150
スーパーでの買い物 300
ブラックティー 50
スパゲッティー 420
トータル 2150


【4/6】

昨夜も寝袋なしで寝て見たがやはり夜は寒く何度か起きた。
あんなに寝るのが好きだったにも関わらず今では朝が待ち遠しくなっている。
六時に起きて七時に朝飯。Iphoneは音楽を聞いて歩きたいので現在充電中。

わしのiPhone3GSと言えば、最近おかしく、WiFiが繋がっているにもかかわらず左上の電波のマークが表示されなかったり、
充電が80%になったなと思うといきなり100%になったり、かと思うと充電が25%あったのにいきなり電源がきれ、電池切れマークが表示されたりとヘンテコぶりが激しい。たぶん長い間充電もせずほったらかしにしていたためだと思う。

ナムチェは8時に出発した。
今日は土曜だったのでマーケットが開催されていたが帰る身のわしには特に必要なものは無く、そのまま素通りし下ることにした。ナムチェまでは6時間と聞いていたのでそれを目安に歩こうと思っていたが、どういうわけかまた闘争心なる物がうまれ、ストップウォッチをセットし何時間で行けるか試そうと思った。4時間くらいで行けるだろうか。

ナムチェを出てすぐの怒涛の上り坂をあっという間に下る。
上りはあんなに苦しく何度も何度も立ち止まったのに下りはまるで一瞬だった。
ポーターや現地民の使うショートカットなども通りより早くなった。
軽快に歩いていると前方に身軽なポーターがいたので彼のペースに合わせて歩く。
何ともリズミカルに歩いていたのでこちらもそのリズムに合わせて歩く。特別早いとは感じなかったがそれでも沢山の人々を追い抜いて行った。特に疲れが出るわけでも無く、どんどんと進み、モンジョという村を過ぎたあたりに懐かしい花が咲いていたので立ち止まる事にした。

桜が咲いていたのだ。

blog5DSC_8353.jpg


ちょうど日本も桜のシーズン。
日本は天気が大荒れのようだが、ここはまさに花見日和の暖かい春の一日。
まさかこんなところで桜が咲いているなんて思わなかった。行きに通った時には全く咲いていなかった。

桜を見ていると地元の人がこれはジャパンの花だ、さくらさくらと言って
わしや周りにいた欧米人に説明していた。そうだよ、これは日本の桜、と答えると相手は
"お前は日本人か、ははは"、と嬉しそうに言っていた。

桜を見ていると次第に体の力が抜けて来た。何で最後のトレッキングの日に早く行こうとしているのか。
そんな事をするべきではなく、景色を楽しんだり、写真を撮ったりして歩くべきでは無いのかと思った。
急ぐのはやめよう。そうしてカメラを取り出し桜の写真を数枚撮った後、ゆっくりとルクラを目指す事にした。
桜の花を少しちぎりメモ帳に挟んでおいた。

ゆっくり歩き出すとやはり見える景色も変わる。
行きに通って来た景色がなつかしく、標高が下がるに連れ緑や花も増え景色が賑やかになっている。
相変わらずポーターやゾッキョもまた重い荷物を持ってナムチェ方面へと歩いている。

お茶を飲むおばあちゃん。
blog5DSC_8358.jpg

ルクラは思ったよりも遠かった。途中二度程お茶を飲んだが、所要時間は五時間半。
ルクラに着くとかなり疲れている事に気付く。太ももの裏側の筋肉は張り、足の裏も痛くなっていた。
おとといまでは美しい山々に囲まれた道を歩いていたせいで、アドレナリンが出っ放しだったのに対して今日は空港のあるルクラに戻るために歩いた。
そこにはもう美しく高い山は無いのだと思うとやはし少し寂しい気分になる。
しかしながらルクラに到着した事で無事にここまで帰って来れた事に対する安堵感で一杯だった。

そしてちょうどカトマンズから今日ルクラに到着しているはずの友人にもうすぐ会えるという喜びもあった。
このまま約束した宿へ向かおう。歩いていると、反対側から友人ののりちゃんがこちらにむかって歩いているのが見えた。バラナシであって以来なので約二ヶ月ぶりの再会となる。この旅ではなんと四度目の再会。そのまま宿に向かった。

部屋に入ると友介君はベットで横になっていた。どうやら少し風邪気味らしい。
ネパールにいるのは知らされていたがわしのトレッキングが少し伸びたせいもあって会えるとは思っていなかった。それがまさかルクラで会えるとは、何とも嬉しかった。2人はあいかわらず元気そうだったので良かった。
ルクラに到着後、まず明日のフライトのリコンファームをするために航空会社オフィスへ行く必要があったので、場所を宿の人に聞きその場所へ向かった。以前ナムチェからチケットを購入したエージェントに連絡し日付けを変更していたのでそれが本当に出来ているか不安だったがオフィスにいってみると問題無かったので安心した。これで無事明日の座席は確保。

宿に戻り三人で食事をした。お疲れ様といって2人はわしにエベレストビールをご馳走してくれた。なんと気の利く事。今からエベレストを見に行く2人は私たちはまだエベレストビールは飲めないといって別のビールを飲んでいた。その後ルクラの町を歩いた。ナムチェに比べると小さくメインストリート一本のみだったが多少のアウトドア用品やお土産も売っていたし、WiFiフリーのカフェやレストランがあって驚いた。しかもスターバックスコーヒーの偽物なまで発見。堂々とスターバックスコーヒーを名乗って居た。

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そのスタバでケーキとコーヒーを飲みながらインターネットを約二時間程し過ごした。
ルクラまで来るとどこでもWiFiは無料だし、充電も気軽にさせてくれる。
今迄の事を考えると本当に信じられない。

宿に戻り少しまだお腹が空いていたのでスパゲティーを食べた。トレッキングが終わり明日カトマンズに帰るのはもちろん嬉しかったが、ほんの少しだけもう少し歩いてもいいななんて思った。出発前の不安とは裏腹、本当に楽しめたし、もっとトレッキングが好きになった。その夜は同じ部屋に友達がいる事に変な安らぎを感じながらすっと深い眠りに落ちた。

【4/6の出費】

ブラックティーx2 100
エッグトースト 280
ミルクティー 40
ミルクティー 60
スプリングロール 300
コーヒーx2 200
ケーキ 250
スパゲッティー 400
ブラックティー 50
トータル 1680


【4/7】

腕時計のアラームが5時半になった。今回はわしはそれを待ち構え、鳴ると同時に止めてやった。
23日ぶりにカトマンズに戻るというのだからこちらも興奮して目覚ましよりも早く目が覚めた。
幸せそうに寝ている2人を起こそうと思ったのだが、そうせず置き手紙をしてそっと部屋を出た。
また日本で会うのは間違いないだろうから、その時にまた。

昨日のリコンファーム時に朝の六時に空港に来るように言われていたのでぴったりに到着。
空港に行くとトレッキング中に出会った日本人とアメリカ人の夫婦が先にカウンターに並んでいた。

天候次第ですぐにキャンセルになるこのフライト。幸い今日は快晴で、天気が理由でフライトがキャンセルになるようには見えなかった。カウンター周辺にいると、チェックインが始まり古いイーチケットを見せる。
すると2とだけ書かれたボーディングパスを渡され、空港タックスの200ルピーを要求されたので支払った。
この2番はどういう意味なのだろうか。

その後荷物を預け、機能していない金属探知機をくぐりセキュリティチェックとは呼ばないチェックを受け待合室に入った。
意外に人は多く、約6,70人程いただろうか。飛行機一機あたり20人も乗れないと聞いていたからそれを見てもしかしたらかなり待 たされるのかなとも思った。飛行機とはいえ、普通の空港であるようなアナウンスや正確な出発時間などは全くなく、どうすればいいかもわからないまま外を見ながら一時間以上待っていた。

他の乗客もまだかまだかとそわそわし始めた。我々ももしかしてキャンセルになるのでは、と言う一抹の不安を抱き始め、
もし帰れなかったら今日はカツ丼食べれないね、と冗談を言い合っていた。
その間ヘリコプターがニ機離着陸をしていた。その音に既に敏感になっている乗客は飛行機が来たのかと窓側に集まり、
それがヘリコプターだと確認すると残念そうにもと居た場所に戻って行った。すると係員が大声でナンバーワン!ナンバーワン!と叫びながら待合室に入って来た。そういう事か。チケットの番号は飛行機に乗る順番なのだ。という事はわしは二番目。そのカップルは1番だったので、嬉しそうに待合室を出て行った。

待合室から彼等が飛行機に乗り込むのを見届け次はわしの番だとしばらく待っているとなんと呼ばれたのは三番。
続いて四番。一体どうなっているのか心配になり始めた。もしや知らぬ間に乗り過ごしたのではと。
周りを見てみると同じ様に二番のチケットを持った人々が不安な顔をしていた。その中にはネパール人であろう人もいたので安心した。流石にネパール人が乗り過ごす事は無いだろう。

結局二番が呼ばれたのは最後だった。理由は分からなかったが優先順位が1番低かったらしい。
それでも呼ばれてすぐ機内に乗り込んだ。機内はたった二列のシートで、最大でも二十人程しか乗れない。
コックピットも座席から見え、操縦士は黒の革ジャンという何ともワイルドな格好をしている。
プロペラが動きだし、飛行機は離陸準備にはいる。思ったよりもうるさく無い。
フライトアテンダントも一人おり、乗客に雨と耳栓代わりの綿を配った。無事にカトマンズに到着します様に、祈るばかりである。

そして機体は信じられない程短い滑走路の端に移動。盛り上がりを見せるライブ会場の歓声の様にのプロペラが回転数を上げる。
そして滑走路を滑るように走り出した。滑走路は下り坂になっておりそれで加速力を上げる。今から飛ぶはずの機体は下に向かって動きだし、滑走路一杯一杯使って無事に離陸。滑走路の端は崖のようになっており、離陸が出来なければそのまま谷底に落ちてしまうような作りだった。

小さな機体は山からすぐのところを飛び始める。眼下にはトレッキングルートや歩いて来ただろう渓谷が見える。
7日かけて歩いた道をあっという間に過ぎて行った。8:15に飛び立った機体はなんと8:48にカトマンズ空港に到着してしまった。機内からヒマラヤの山々を見ているとまるで旅が終わるかのような気分になった。日本に帰る時はこの何倍もの感情が生まれるのだろうとまた妄想にふける。無事にカトマンズに到着すると、あまりにあっさりと気持ちが切り替わってしまった。

さてカトマンズ、また戻ってきた。そのまま朝ごはんを食べに行こう。そして空港からタメル行のバスに乗ったのだった。とにかく無事に終わってよかった。

イェイ。
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イェイ。
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からのイェイ。
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【4/7の出費】

ミルクティー 60
ルクラ空港税 200
カトマンズ空港~タメルへのバス 200

終わり。

仮) 始めてでも出来る海外トレッキング ヒマラヤ編 Day16- 20

2013年04月24日 02:26

                              22:40,4/23、アンジュナビーチ、インド

残り2章!トレッキングの続きです。


【3/29】

時は既に14時38分。たった今チュクンリと言う5500mの山から帰って来た。
至って元気だ。5500mから見る景色は想像以上に美しく大量の写真を撮ってしまった。
特にそこから見るアマダプラムは綺麗だった。

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頂上には360℃遮る物も無いため綺麗なパノラマが楽しめる。エベレストはここからは
見る事が出来ない物の、マカルーやロツェなどの名峰が綺麗に見渡せた。満足な日帰り登山だった。

今日起きたのは6時45分。今日も何度も目を覚ましてしまった。
朝食にモモを食べた後、9時に宿を出た。ガイドに聞いた所チュクンリの頂上までの所要は
上りが2時間半、下りが1時間と聞いていたのであまり早く出る必要は無かった。
登り始めの天気はいまいちだった。青空が見えなくもないが雲が多く、登山日和とは言いがたかった。
まぁそれでもすぐに晴れるだろうと思い歩き始める。

チュクンリまでのトレッキングはロンプラでもサイドトリップとして紹介されているが
カラバタールなどのメインコースと比べると、あまりトレッカーも多くなく静かで良い。
スタート地点の標高は4730mだったが体は今の所うまく順応しており歩くのも楽だった。
登り始めは少々急な登りで、砂っぽいトレイルのためちょっと歩きにくく、時折吹く風が
砂を舞い上がらせた。約1時時間45分、チベットの旗がはためく地点に到着。ここから頂上までは
もう少しありそうだ。既に5000mは超えており、風もかなり強かった。

強風のせいか出発時に覆っていた雲は無くなり、綺麗な青空が広がっていた。ラッキーだね!とジョンと笑い
そのまま頂きに向かった。すると2日前に出会った香港人が頂上から下りて来ていた。そういえば
ここまで来る途中もSurkeという村で出会ったスイス人の2人組に会った。
トレッキング中は色んな人に出会っては別れ、その後また出会う事が何度もある。
初めて会った時にあまり話をしていなくても顔さえ覚えていれば、あっ、どっかで見た事あるよねと再会時に話をしてしまう物である。

頂上までは薄っぺらい岩の上を歩く。足を滑らせて滑落してしまうような箇所も
あったので手を使ってゆっくりと登った。歩き始めて2時間半程してようやく頂上に辿り着いた。
空は青く白い雲がどこからともなく現れては消えて行く光景は芸術的だった。

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直ぐ目の前にはロツェ(8501m)がそびえ立ち、マカルー(8463m)がロツェの東方に見える。まるでおにぎりのような形のマカルーは形のせいか険しい山には見えず、どことなく愛らしさが漂っていた。

マカルー。
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せっかく5500mに来たので30程そこで写真を撮ったり、景色を眺めたりして過ごした。
記念にジョンとも一枚。

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青空が広がっている物の依然風は強く、更に冷たさを増して来た。気付くと顔と耳がかなり冷たくなっていたので下る事にした。下りの所要時間は1時間半。ジョンは中間地点で別のルートで帰ると言ったので
わしはそのまま宿に戻った。

宿に戻ると今日到着したトレッカーと、インドネシア人の女性トレッカーが来ていた。
珍しく東南アジア人にあったので話しかけてみると、彼女もアイランドピーク登頂のためここまで
来たらしいのだが、体長が優れないため今回は諦めて下山する事にしたと言っていた。
6150m程のアイランドピークに登ろうとする人はかなり多い。
そしてまた登頂前に体長を崩して諦める人も多いと聞いた。

さて、恒例のミーティングタイム。明日のルートの再確認。
チュクンからロブチェまでは2ルートあり、コンマパス(5540m)という峠を通るルートが一つ。
それとデンポチェ経由で行くルートがある。宿には丁度ガイドと共にコンマパスを抜けるトレッカーが
降り、良ければ一緒に行こうと言ってくれていた。

現在コンマパスにはかなりの雪が残っており、一人で行くのはかなり無謀だと聞いていたので、ジョンはガイド付きのトレッカーと一緒に行ける事はグッドオポチュニティーだ、と言っていた。
確かに行くなら絶好の機会だなとも思ったが、正直わしの靴が心配だった。
既に人差し指がすっぽり入る穴があいておりそこから雪が入ってくるのは確実だし、何せその峠はかなりきつく、他の峠と違って宿泊施設などが途中にないので一度行ってしまうと渡りきるしかないのだ。
であれば雪を裂け、トレッカーも確実に多い後者のルートを選ぶ方が確実だと思った。
それだけでなくコンマパスを通るルートの標高差は上りが800m、下りが600mと聞いただけでしんどそうなのだ。そしてジョンにはそう伝えた。わしは楽なルートで行くからまたロブチェで会おう、と。
そしてロブチェのアルパインロッジの前で待ち合わせる事にした。

夕食を頼もうかと思っていた18時過ぎ頃、またアイランドピークからドイツ人が帰って来た。
彼も同じように疲れきっている。彼も夜中の2時から歩き出し、ピークに到達、その後ここまで
戻って来たと言う。なんと16時間近く歩いたのだ。そんな話を聞いて正直登りたいとは思えなかった。
でも少しでも高い山に登りたいという願望はあるので、わしも近いうち同じように登るのかもしれないなとも思った。

昼ご飯を食べなかった生で夕食のダルバードはいつもよりうまかった。
それに持って来ていたお茶漬けの素をご飯にかけて食べる。今日のロッジは昨日よりも混雑していた。
ドイツ人が4人、アイランドピークに向かったが断念し戻って来たロシア人が一人、無愛想なポーランド人が一人、それにわしとジョン、それにガイドやポーター、その全員がストーブを囲んで座っている。その光景はまさに登山家の集う小さな山小屋だった。そんな雰囲気にとけ込むのは気分がいいものだった。

外に出てみると星がすごかった。奇襲攻撃を受けたような気分にもなる。
空は澄み渡り無数の星が輝いていた。そしてそれを見ながら歯を磨いた。
こんな星、またいつ見られるかわからんなと思いながらその光景を脳に焼き付けた。
明日はロブチェまで一人でトレッキングか、そう思うと何だか楽しみになってくる。最初から最後まで
自分のペースで歩けるのだ。


【3/29の出費】
ポテトモモ 250
ブラックティー 40
ブラックティー 40
ダルバード 400
宿 100
トータル 830


【3/30】

起きてすぐ青い空を見るのは清々しくそれは何日経っても変わらなかった。
ジョンの時計のアラーム機能が調子が悪かったため、わしの時計を昨晩貸したため起きてすぐ一体何時なのかが
わからなかった。ジョンは今日コンマパスを超えるルートだったため、5時には起きているはずだ。
ジョンに貸した時計はドアノブにかけて置く事になっていたので起きて直ぐそれを確認すると
ちゃんとかけてあった。何となく音がしたのを覚えている。
とりあえず部屋でコーヒーを沸かし、本を読んだ。
本の登場人物にドルジというブータン人が出てくるのだが、ドルジと言う名前はネパールにも
多く、ちょうど宿にもドルジと言う名のシェルパが居た。朝食を頼もうと思いダイニングに行ってみたが
疲れきったトレッカー達がまだ眠っていた。なので注文だけし、部屋に持って来てもらう事にした。
朝食後、7時50分に出発。宿の人に挨拶をしておいた。
たった2泊だけだったが、宿の人の温かさのせいかかなり長く居た気がした。
心身ともにゆっくり出来たのだろう。

歩き出すと鞄が軽くなった気がした。これと言って消費した物はあまり無かったが
確実に足取りは軽くなった。今日の目的地ロブチェまでは6時間と聞いた。
一人トレッキングを楽しもうではないか。

デンボチェまでは来た道を単純に戻る。天気も良く緩やかな下りを軽快に下って行くのは爽快そのものだった。
そして2時間かかった道のりを半分の1時間で下る。デンポチェの村の裏手にトレイルが見えたのであれがロブチェまでのトレイルか聞いてみるとそうだった。既に何人かのトレッカーが歩いているのが見えた。
ジョンは既に3時間半歩いていることになるなと考えた。どんな険しい道なのだろうか。
雪に埋もれてはいないだろうか、少し心配になる。

10時半、Thukla(4620m)という村に到着。デンポチェからは
タボチェと言う山を左手に見ながら歩き続ける。傾斜はありがたい事に緩く
ハイペースで歩いてちょうど良いくらいだった。
ロブチェ方面に歩いているトレッカーはかなり多く、殆どがグループだった。

Thuklaのレストランでチャイを一杯飲む。2時間半程ほぼ休まずに歩いた。
日差しが強くそれでいて風は冷たい。隣の席ではアメリカ出身のトレッカーが二人会話をしている。
二人とも偶然ユタ州出身でしかも地元と年齢が同じ歳だといってかなり興奮している様子だった。
互いの共通の友達を探そうと話を続けているが、どうやら共通の友達は見当たらないらしい。

ロブチェまでのトレイル。
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休憩後、そこから急な登りが一カ所あった。
ゆっくり登れば問題ないが、やはり上りはいつもしんどい。
登り終えるとそこにはエベレスト登山中に亡くなった人々の記念碑がいくつかあった。
中には女性登山家のものもある。そこからロブチェまでは約一時間。
道はほぼフラットでロブチェまで一気に歩けた。到着時刻は12時半。
意外にも早く到着してしまった。今日の歩行時間は4時間15分。

ジョンが来ているとは思わなかったが待ち合わせ場所であるアルパインロッジに一応行ってみる。
ロッジのなかはものすごい人で混雑していた。1泊の値段を聞いてみるとまさかの500ルピー。
今まででもちろん一番高い。しかもダブルのルームしか無いと言う。それはだめだ。とりあえず周辺には
何軒かロッジがあるようなので、一番安い所を探す事にした。3軒目に入ったAbove the cloudという宿では
日本語を話すシェルパのおばちゃんがおり、日本人なら一泊50ルピーでいいよと言ってくれた。文句なし。
そこに泊まる事にした。チャージは300ルピー、ダルバードはついに600ルピー。長居は禁物である。

本を読みながらアルパインロッジでジョンを待つ。チュクンからコンマパスを通って
ロブチェに来るルートの所要時間は9時間と聞いていたので早くても15時にならないと到着しない。
雪の状況もあるだろうし、もっと遅れる事だって考えられる。外に出て近くに居たガイドらしきシェルパに
何処がコンマパスなのかを聞いてみると、明らかに雪に埋もれた山の頂上を指差した。
まさかあんな所をジョンは通ってくるのか。それを聞いてかなり心配になって来た。ここから見える
その峠はものすごく急で雪もすごい。時計を見ると14時だったのでまだ着くには早すぎると思ったが
もしかしたら今日到着しないんじゃないかとも思えてしまった。もう少し近くから見える高台に行き
いつもの赤いニットキャップとキイロイジャケットを来たジョンを探そう。一度部屋に戻り
読み終えた本と水を起き山の方に向かって歩く。30分程歩いた所の小さな丘のような所から
峠の方向に目をやった。あんな所を本当に通ってくるのだろうか。いくら健脚な62歳とは言え雪の上では
何が起こるかわからない。しかしそれは思ったよりも遠く、トレッカーの姿は一行に見えなかった。

もしかしたら全く別の方向から歩いてくるかもしれない。いや、もう村の近くに居るかもしれないと思い
村の方も見てみるが、まだジョンらしき姿は見えなかった。
15時を過ぎた所で村の方にジョンらしき男を含む3人組を発見、バックパックも黒く歩き方を見ても
あれはジョンに違いなかった。小走りで村へ戻る。100%ジョンである保証は無かったが近づくとやはりそれはジョンだった。
待ち合わせのアルパインロッジに行ってみると黒いサングラスをしたジョンが平然とした様子で
そこに立っていた。とりあえずハイファイブをし、無事で良かったと伝える。
ジョンも良かったと行って笑っている。

話を聞くとやはり道のりはかなり険しく、9時間歩いたトレイルにフラットな箇所は無く、常に激しい上りか
下りだったという。雪もかなり残っており、多い所では1m以上あったと少し興奮気味にジョンは話していた。
氷河の上も歩いたらしく、ガイドでさえも安全なトレイルを探すのに苦労したらしい。
その中でも最後の下りが一番大変で、村が見えてから下りるのに3時間半もかかったのだと。
距離にすればものすごく近く見えるが、雪がかなり残っていたせいでなかなか進めなかったそうだ。
その上2人のポーターが最後の下りで滑落したのを見たらしい。ただ、ガイドの判断でそのまま進むことになり
仕方なくそうしたらしい。

とにかく無事でよかった。
それに無愛想なポーランド人もジョンの歩きぶりを認め、最初は会話も無かった物の
徐々に口を開く様になったんだよ、と嬉しそうにジョンは言っていた。
しかし正直わしは正しい決断をしたと思った。
もしついて行っていれば確実に足手まといになっていたに違いない。
無理をするときは気持ちの準備がある程度できている時しかするべきではない。
あいまいな気持ちで無理をしても良い結果は生まれないし、危ないだけなのだ。

その危険なトレッキングの無事を讃えてその後一杯やる事になった。
正直わしは関係がないのだが、トレッキングを初めて以来15日以上も酒を飲んでいなかったので
ここらで少しだけ飲んでおくのも悪くないと思った。ポーランド人とガイドの泊まっている宿に行ってみると
2人はダイニングでわしら二人が来るのを待っているように見えた。
早速小さなラムの瓶とコーラを注文し、ラムコークを作って4人で飲んだ。
ロブチェまで来ると500mlのコーラは300ルピー。ラムのボトルは600ルピーとかなりの贅沢品。
今日のトレッキングはそれに値するのだよとジョンは満足そうにちびちびと飲んでいる。
約2時間程その場に居たのだが、どうもそのポーランド人が少し変な人である事に気付く。
この人はアル中だ、と直感的に思った。ジョンはどう思っているかはわからなかったがポーランド人と
語り始めた。わしはそれをほどほどに聞いていた。

ポーランド人の話す事と言えば、人生の目的は何だ?とか、他人の事をかまう必要などない、など
ちょっと面倒なトピックばかりだった。しかもポーランド人の主張には頭をひねるような
主張がいくつもあり、偏屈な人間だなと思わざるを得なかった。ジョンは真っ向からそうは思わない
と言っているが、そういう二人が会話をしていてもわかり合える事など殆ど無いのだ。
わしはガイドと目を合わせながら、やれやれと言う感じでほぼ傍観するのみだった。
それにしもあんなに無口だったポーランド人がこんなに話し込むとは。それが一番興味深かった。

後でガイドにそのポーランド人の事を聞いてみると、過去に薬物中毒で苦しんだ経験が
あったのだという。立ち直ってからはこうしてネパールに足を運びトレッキングをして気持ちを
維持しているのだとか。人生色々だ、本当に。

夕食は自分たちの宿で食べなければならないので適当に切り上げて宿に戻った。
この高度の中少し濃いめのラムコークを2杯飲むとかなり酔うことがわかった。
頭も少し痛くなり、こんなことなら飲むのではなかったと早速後悔。まだ7時前だったが
スパゲッティをささっと食べられるだけ食べ、直ぐに寝てしまった。歯磨きもせずに。


【3/30の出費】
エッグサンドウィッチ 350
ミルクティー 90
宿 50
ブラックティー 70
チョコレート 100
チーズスパゲッティー 600
トータル 1260

【3/31】
気付けば3月31日。明日で4月になってしまう。
昨日の頭痛は驚く程長く引きづり結局朝まで苦しんだ。
ようやく体を起こしたのが8時。我ながら良く寝た。最近どういう訳か前の会社で
働いていたときの事や仕事を探している夢を良く見る。内心仕事の心配でもしているのだろうか。。
今日も歩行時間は短いため朝食を言う栗と食べた。ジョンは昨日の峠の疲れが
溜まっていたせいかわしよりも起きてくるのが遅かった。
今日も目的地は本来の目的地であるカラパタール。ようやくエベレストを間近に見る日が近づいて来た。
カラバタールのあるゴーラクシェプと言う村まではここから2時間半。パッキングをしているジョンを
待っていると、宿の日本語を話すサムディンと言う名のおばちゃんが、"友達遅いね"と言って紅茶をサービスしてくれた。おばちゃんは日本やアメリカにも行った事があり、息子は現在カナダ留学中と言う。おばちゃんの日本語は
なかなかうまく、昨日宿に戻って来た際には、"酒臭いよ、飲んできたの?"と言われてしまった。
結局宿を出たのは11時だった。

ゴーラクシェプまでの道かかなり緩やか。
右手にロツェを見ながら砂や石が多いトレイルを歩く。少し出発が遅いせいか
トレッカーがあまりおらず静かで歩き易い。空気も新鮮でたまらないのだが、歩くに連れて
軽度の頭痛と胃もたれのような感覚が付きまといあまり気持ちの良い物ではなかった。
エベレストはロツェの背後にあるため、見る事が出来なかったが、約2時間程歩いた所から
ほんの少し、エベレストの頂上が見えた。そこからは右手にKhumbu氷河が広がり、奥の方に
エベレストベースキャンプが見える。こんなところからベースキャンプが見えるのは信じがたかったが
確かに黄色や赤のテントが見えた。

ゴーラクシェップ手前にて。

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ゴーラクシェプに到着したのは13時半。標高は5190mとなり、
宿泊地としては過去で一番高い場所になる。そんな所の宿が一体いくらするのか検討も着かなかったが
一件目の宿に聞いてみると150ルピーと言う。意外の安さに驚いたが、他にも2軒宿が見えていたので
そちらの方も聞いてみると良い一旦宿を出ようとした。すると100ルピーでいいよ、と言う。
が、他の二軒も見ておきたかったのでそのまま宿を出た。他の2軒を見るには見たのだが、あいにく
どちらも空室が無いと言う。仕方なく一軒目の宿に戻ると先ほどのスタッフが戻って来たな、と少し
不機嫌そうな顔をしていた。やっぱりここに泊まるよ、と言うと宿代は200ルピーだと言い始めた。
さっき100って言ったでしょ?と言った物の、その時決断しなかったわしが悪いと思い諦めた。
こういう事は宿探しの際に良くあるので仕方が無い。

ロッジのメニューを見てみると意外にもロブチェよりも若干安いではないか。。
ダルバードは580ルピー、チャージは一時間350ルピー。決めた宿はHimalayan Lodgeと言う名前だった。
Wifiもあるが、1分15ルピー。1時間だと850ルピーになる。いずれにしても高すぎる。

昼食を食べ、ゆっくりしようとも思ったが今直ぐカラバタールに登ってエベレストを見たいと思った。
ジョンはまだ疲れが取れていないので気が向いたら登ると言っていたのでわしは一人カラバタール頂上まで
行く事にした。カラバタールまでは登りが2時間かかると言われたが、無心で登っていたせいか1時間20分で到着した。


頂上の標高は5500m、先日登ったチュクンリと同じ高さのため高山病の影響も全くない。
登り始めると高くなるに連れ少しずつエベレストが見えてくる。

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元々トレッキングをするつもりは無かったがエベレストを見たいと思い歩き始めてから17日目の今日、こうしてエベレストを近くから見ている。大した事ではないのだけれどここまで来たんだと思うと嬉しかった。
昼過ぎに歩き始めたにも関わらず、天気は上々だった。

雲が時折エベレスト全体を覆う事もあったが、雲はまた消え、想像していたエベレストの姿を拝む事が出来た。
頂上からの景色は素晴らしく、アマダプラム、プモリ、チョオユーなどの山々を見る事が出来た。
エベレストに向かって座り、いくつかのお願いごとをし、刻一刻と変わり続けるその全景を写真に収めていると
ジョンが歩いているのが見えた。手を振るとあちらも確認が出来たようで手を振っている。せっかくであれば
ここで一緒に写真を撮りたかったので嬉しかった。

エベレストとヌプツェ。圧巻。
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まるでブラザー。
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ジョンも到着し、エベレストとヌプツェを見ながら日が経つのは早いなと笑った。
一緒にこれて良かったよと伝えると全てに満足してしまったかのような感覚になった。
気付くと時間は17時半になっていた。手は凍え何故か髪の毛が真っ白になっていたし、持って来ていた
水もシャーベット状になっており、それで気温が意外と低い事に気付いた。そして直ぐに下りる事にした。
下山にかかった時間は45分。ロッジに戻ると広々としていたダイニングホールは何十人ものトレッカーで
埋め尽くされていた。座る場所が無かったが、ガイドたちが席を譲ってくれた。
今日はエベレストも無事見る事が出来たので贅沢にもトレッキング中ずっと頼んでみたかったガーリックスープを
頼む事にした。それとフライドヌードル。ただ腹が減っていたので一瞬で平らげてしまった。

明日のルートをジョンと話す。
わしはこのままルクラまで歩いてしまっても良いのだが、飛行機までまだ時間に余裕が
あったので、チョラパスという峠を通りゴーキョまで行くというルートも考えていた。
一週間前はチョラパスもかなり雪が多かったため通れなかった今は歩いている人もちらほらと
出始めたらしい。ただ実際にそこを歩いて来た人にはあっていなかったのでチョラパスの
手前にあるZonglaという村まで行きそこで確かな情報を得てから考えようという事になった。
危険を冒して峠を越えるつもりはさらさらなかったのでそうするのが一番良いと思った。
ジョンとは後長くても3日。今日は就活や前の会社を見なければ良いのだが、、、、。


【3/31の出費】
ミルクティー 90
シナモンパンケーキ 380
ツナフライドライス 490
ガーリックスープ 290
フライドヌードル 490
宿 200
トータル1940

【4/1】
エイプリルフールになってしまった。
何だか寝たのか寝てないのかよくわからない。高度のせいでうまく寝れなかったのだろう。
昨晩は21時にベッドに入ったのだが、なかなか寝付けず、サイド時計を見ると23時半だった。

さぁエベレストも見れたし目的は達成。ここから空港のあるルクラまでチョラパスを通り6日
かけて下る事になる。あっという間のトレッキングだった。多くのトレッカーで混雑しているダイニングホールで朝食を取り、8時15分、ひとまずロブチェェまで下る事にした。

朝のゴーラクシェップ。
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寝れなかった割に体は軽かったのでかなり早足で歩いた。
これからゴーラクシェプへ登って行く多くのトレッカーとすれ違ったが、皆辛そうに両手にポールを持ち
ゆっくりと歩いている。グッドモーニンと声をかけてみるとグッドモーニンと返ってくるのだが、
その声はまるでゾンビのようだった。
そんな人々とは真逆に軽快に走り抜けるのはとても気分が良かった。
目的を終えた者の特権なんだと。

ロブチェには1時間45分で到着。先日泊まったおばちゃんの居るロッジで
軽食をとる事にした。おばちゃんは今日も笑顔で働いていた。
ヌードルスープを注文し、外で日光浴をした。
11時、出発。おばちゃんにはもう会う事はないのかなと不意に思った。

ロブチェから下り、右側をのトレイルを歩いて行くと山の下の方にトレイルが見えた。
底を歩いて行くと今日の目的地であるZonglaに行けると言う。ただ誰も歩いている気配がなく
かなり大きな岩がごろごろしていた。それにかなり急な斜面だったため岩が落ちてこない気になった。
Dughlaまで出てからチョラ方面に行く道があったのを思い出した。どちらも同じ道につながるはずだった。
それをジョンに伝えると、"そんな道はない、ここからチョラパスに行くためにはこのトレイルを通るしか
ない"と若干強めの口調で言われたのには驚いた。わしはただ出来るだけ安全な道を選びたかったので言っただけ
なのに、どういう訳かやはり見えない部分でジョンとぶつかっている気がした。確かに何度が経験のあるジョンに
従ってついて行くと違っていたと言う事が何度かあった。先ほどもわしがトレイルに沿って歩いていると
ジョンはトレイルをはずれどういう訳か別の道を歩き始め、30分程姿を見失った。心配になり始めた所
わしの歩いて来たトレイルから姿を現した。どうやらジョンの行った道には何も無かったらしい。
要するに少し頑固な所があるのだ。フランス人っぽいと言えばそうなのだが。

それはそうとZonglaまでのトレイルから見える景色はすごかった。トレイルのコンディションも
思っていたよりもだいぶ良く、雪も少ししかなかった。タブチェやチョラステという山々に
囲まれたこの孤独なトレイルで、わしら2人は世界に取り残されてしまったかのような気分になった。
この先に本当にロッジなどあるのだろうか、そんな不安も少しはあった。反面こんな所を歩いているのか
と思うと特別な気分にもなった。

ゾンラへのトレイル。

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一人先にトレイルを歩いていると、前方に緑の屋根のロッジがようやく見えて来た。
ロッジも確認でき安心したわしはそこにあった岩の上に腰掛けジョンを待つ。
そして14時半、Zonglaの村に到着。村にはロッジが3軒あった。どのロッジにしようか迷っていると
一つのロッジから2人の欧米人トレッカーが見えたので、情報収集も兼ねてそこにする事にした。
宿の名前はZongla Inn、1泊200ルピー、ダルバードは650ルピー。

ゾンラのロッジ。
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物価が高いのは仕方が無い。こんな絶景に囲まれた宿。仮にスイスで泊まろうもんなら50倍は
してしまうだろう。天気が良かったので、さっと顔、手、足を久しぶりに洗った。
一体いつぶりだろうか。水は冷たく手足が凍るようだったがとても新鮮な気分になった。
特に読む本もなかったので村の周辺を歩いた。少し高い丘の様な所に立ってその3軒のロッジの並ぶ
風景を見ているとそのロケーションのすごさに改めて気付く。

軽く歩いた後、宿に戻るとまた一人トレッカーがやって来た。
異様な眠気と空腹に襲われ一度部屋に戻り休んだ。夕食までは時間がかなりあったので
部屋でみそ汁を作った。色々持って来たインスタント食品は見事に無くなりつつある。
むしろもう少し持ってくれば良かったとも思った。
18時前になっても相変わらず暇だったのでダイニングでミルクティーを頼む。
ダイニングには先ほどのトレッカーが居たので話しかけてみた。

彼はスイス出身の大学院生で卒業制作のフィールドワークでEBCの取材を6週間かけてしている途中で、
今は4日の休みを取ってトレッキングをしている最中だと言う。
EBCの中はどうなっているのか?が彼のテーマで、例えばテント内はヒーターがあるだの、
施設が充実しており意外にも快適であると言う点や、ウォッカバー、EBC内でのルール、場所取り、
ヤックのための道作りなど普通はあまりわからない事が内部では起こっていることを教えてくれた。

彼はジュネーブ出身でスイスでもフランス語圏。
起きて来たジョンにその事を伝えると嬉しそうにフランス語で何やら話していた。今日は何だか眠気がすごい。
明日はちょいと早起きせねば。

【4/1の出費】
ブラックティー 80
チキンヌードルスープ 350
ミルクティー 90
ダルバード 650
宿 200
トータル1370


【4/2】

6時17分、久しぶりの快眠だった。かなり頭がすっきりしている。
部屋の窓からは透き通った青い空とチョラステがこちらを覗いている。
7時半、晴天の中ゾンラを出発。スイス人はわいらが出発した頃起きて来た。

チョラステ。
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今日超えるチョラパス。前からここを通るのかどうかが常に話題になっていたが
最終的に雪も問題ないと聞いたため行く事にした。現状何人かの人が実際に
通って来ていたし、今日峠を通る人も宿の人が言うには沢山いるとの事だった。
出発して直ぐトレイルのような物はあったが、次第に雪で覆われて行く。
幸い先に行った人々の足跡がくっきり残っていたのでそれを目印にして歩く。

歩き始めのトレイル。

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昨日ゴーキョ方面から来たガイドに様子を聞いてみると、"ノープロブレム!ノープロブレム、ノースノー!"と
言っていたので雪は全くないものだと思っていたが、いきなり雪。しかしわしは靴の穴対策のため
ビニール袋を靴下の上から履いて来たので恐れる物は無かった。英語で言うと、Invincibleな状態であった。

ロッジから峠の一番高い所に到着したのが11時半。風邪が強く寒くなって来たがそこで持って来ていた
チャパティとオムレツを食べる。ここまで来るのにかなり登ったし、足を滑らして転けてしまえば氷河に
滑り落ちてしまうような道もあった。スイス人が指差す所にはクレバスがあると言っていたし、手を使いよじ上る
様な箇所もあったと言う点で個人的にはこのトレッキングで一番アドベンチャラスな午前であった。

峠の周辺はまだかなり雪が残っている。

峠手前の雪道。

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わしらは氷河の上を歩いていた。。

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逆方向から来る数人のトレッカーとすれ違ったがそのグループのガイドはクランポンを装着していた程。
それなりの装備があっても決して大げさではない、そんなトレイルコンディションだった。
でも景色は素晴らしかった。一面の雪景色にも関わらず、寒々とした冬の雰囲気は無く、雪の白と空の青さと山の茶色のコントラストがとても鮮やかだった。このルートで来てよかったと満足した。

逆方向へ行くグループ。

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峠から今日の目的地であるタグナックという村まではほぼ下り。
下り始めても雪はしぶとく残り続けた。しばらくするとかなりロッキーなパートに入る。

スイス人は下山を中断し何かを観察しているようだった。
一方ジョンは先頭を歩いていたのだが、どうやらトレイルから外れ200m程離れた所に居た。
ジョンを見てみると、何だか様子がおかしい事に気付いた。奇妙な体勢で腰をかけているように見えたが
尻餅をついている様にも見えた。

するとスイス人が危険を察知したのか、ジョンの名前を2度3度叫んだ。
ジョンは一切見向きもせず、何やらもがいている。
わしはスイス人にジョンは耳が遠いんだよ、ははは。と言ってみたが、スイス人の顔が
やけにシリアスだったので、違和感を感じた。と同時にジョンの置かれている状況は好ましくないと気付く。

スイス人はバックをそこに置き、ジョンの所へ早足で向かう。
いつの間にやらスイス人もクランポンを装着していたため、岩の上をごりごりと進んで行く。
どうやらスイス人の手を借りてジョンも立ち上がりこちらに戻って来た。ジョンは何だか
少し慌てている口調で状況をフランス語で説明した。聞いてみるとジョンは岩を踏み外し
そのまま岩ごと数メートル滑り落ちてしまったのだ。肘には20cm程の擦り傷がありズボンにも
数カ所穴があいていた。スイス人は少し慌てているジョンをうまくなだめ、水を飲み気持ちが
落ち着くまでここに座ろうと言った。ジョンはこんな事が起こったのは初めてだよ、と驚いている。
いくら経験があろうともやはり山と言うのは何が起こるかわからないのだと改めて思う。

何はともあれ大事には至らず再出発。しばらく歩きスイス人はこのままハイペースで
ゴーキョまで向かうと言い一人で歩いて行った。彼があの場に居て助かった。わし一人では
危険な状況にさらされているとは思わなかっただろう。流石は山の国スイス。

そこからの下りは何でもなく、14時46、タグナック村(標高4700M)に到着した。
7時半に出発したので約7時間かかった事になる。久しぶりに長時間歩いたので
たしかに疲れたが、それ以上に様々な景色とトレイルを楽しめたので満足していた。
自分の体がそれなりに順応し強くなっている事も感じられるのはうれしい。
村に到着後、TASHI FRIENDSHIP LODGEという宿に入った。
1泊200ルピー、ダルバードは650ルピー。

宿には明日チョラを通るアメリカ人、ドイツ人、そしてグループが居たので
交換出来る情報を交換しながら時間を過ごした。夜が更けるに連れ体の疲れが増している感覚になった。
夕食はチーズマカロニを頼んだ。ナックのチーズのせいか意外にも味が濃くてうまい。
そこに居たアメリカ人のJAREDと珍しく話が合い、旅の話や音楽の話をたっぷりとした。
彼は一年程オーストラリアで働いていた事があり、わしがこの後オーストラリアに行く事を話すと
次から次へと色々な情報を教えてくれた。具体的な職場の話や、オーストラリアに生息する野生動物の
話など、彼の話し方がうまかったせいもあるがとても面白い物だった。
話し込んでいると21時になっていた。早く寝なければ。良い一日だった。


【4/2の出費】
ブラックティー 70
ムスリ 400
チャパティとオムレツ 400
ミルクティー 100
チーズマカロニ 500
ミルクティー 100
宿 200
トータル 1770

続く。

仮) 始めてでも出来る海外トレッキング ヒマラヤ編 Day11- 15

2013年04月23日 02:31

                           22:36,4/22、ゴア、アンジュナビーチ、インド

今日もバイクでアンジュナビーチ周辺を走って来た。
ビーチはいくつもあり場所によって欧米人が多い所、インド人が多い所、
人があまり居ない所と人の量は様々。アンジュナビーチは岩礁が多いためビーチには
あまり人がおらず気に入っている。2、3日で充分だと思ったがもう少し居る事にしよう。
で、長くてませんがトレッキングの続き。第三章。第五章で完結します。。。


【3/24】

何度か変な夢で目を覚ましたが、それでももう少し寝よう寝ようと頑張って見たがが
結局八時半には寝袋から脱出。今日は高度順応の日で、トレッキングは休憩。
近くにクムジュンと言う村があるそうなのでそこに散歩に出かける予定になっている。
寝袋から出てダイニングにいくとジョンが座っていた。
おはようと声をかけ、いつものように紅茶を飲みながら談笑する。
朝のこの時間が好きだ。

ジョンが言うにはもう一泊すると言っていたガイが予定を変更し、今日先へ進む事にしたそうだ。
少し残念だったがそれは仕方が無い。そしてガイが出発の準備をしておりて来た。
ガイは既にツアーを申し込んでいたため、それに合わせて行動しなければならず、第一希望のルートで行くのは時間的に厳しかった。が、どうやら旅行会社に連絡がつき、ツアーの開始を変更出来る事になった。
日に余裕ができたという事で希望のルートで行く事にしたらしい。
別れも旅の一部。無事を祈りながら送り出した。またトレッキング中に会うかもしれない。

その後ジョンは両替に行き、わしはフライトの変更をするため電話をかけに電話屋へ向かった。
今持っているチケットは4月3日発のルクラーカトマンズ行きなのだが、トレッキングが長引きそうなため4月7日に変更する必要があった。チケットを購入した際にそれが可能と聞いていたので心配はしていなかった。
とりあえず航空会社に電話をし、変更の旨を伝えると、変更希望日の前日に電話をしてくれという。

購入した旅行会社には変更する場合は4月3日になる前に変更してください、と言われていたので
おかしいなと思った。不安になったので購入したシンハルツアーと言う旅行会社のオーナー、モウサムさんに
聞いて見る事にした。すると、カトマンズからルクラに行く飛行機は電話で変更できるが、ルクラーカトマンズの場合はルクラのオフィスに行く必要があると言うのだ。それは聞いていなかったよ、と伝えるとモウサムさんは親切に変更してみるから一時間後にもう一度電話して欲しいと言ってくれた。ここはネパールだし、何とでもなるだろうと思いながら電話を切った。

待たせていたジョンに事情を説明。
一時間後に出発でもいいかと聞くとノープロブレムと言い、太陽の日差しを浴びていた。
わしもそこでお茶を飲みながら1時間程待ちもう一度電話をかけに行く。
電話をかけると"今やってます、終わったら掛け直しますので"、と日本語で答える。
モウサムさんは日本人相手にしか仕事をしていないそうだ。

数分後、電話がかかって来た。すると、
"変更完了しました、またルクラについたら念のため電話をしてください"、と何とも丁寧に対応をしてくれたのだ。
さすがネパール人。インド人ではこんな事考えられない。
無事にチケットの変更ができてほっとした。変更できた事をジョンに伝える。
そして遅れてしまったが近くの村へ向け出発。

時刻は12時になっていた。ナムチェのゴンパの方に歩きずっと上の方に登って行く。
一瞬頭に違和感を感じたときに高山病か?と思ったがすぐに無くなり呼吸も落ち着いた。
少し上に登ると山々の見え方が変わってくる。天気が良く空気も澄んでおり山々が綺麗に見渡せる。
そして周りには音がなくとても静かだ。

ナムチェの空港。

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そのまま歩き続けるとクンデと言う村が見えて来た。標高は3940mと富士山よりも高い。
新しいのか古いのかここから見るとよくわからないが、屋根が緑で統一されて何だか少し奇妙にも見える。
離れた所から見ると特に面白みのある村には見えなかった。人の姿があるわけでもなく、とても簡素に見える。
強いて言うなら村の奥に立っているゴンパくらいだろうか。

クンデの村並み。

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何も言わず先を歩くジョンについて行った。ぐるりと村を一周するように歩くとここにも日本人グループを発見。
ガイドもいたのでどこまでトレッキングに行くのか聞いて見ると、ルクラからナムチェまで来たあと、エベレストが見えるホテルエベレストビューホテルに泊まって帰るんだとか。
どこの旅行会社か聞いて見ると"ヒマラヤ観光という会社です"、とガイドが言った。
つけ加えて"新橋にあります"、とも言った。

その後クンデから隣にあるクムジュン村の方向に歩く。

途中に居た地元の子供達。何とも言えない表情をしていた。

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目の前には六千メートルを超える山が聳え立っており、何度も魅了されてしまう。
ただ山の名前が覚えられない。クムジュンに行く途中、明らかに汚く少し臭いを放つ物乞いが薬を買いたいから100ルピーくれないか、と声をかけて来た。
わしにではなくジョンにだ。するとジョンは100ルピー欲しいのか?と聞きなおし、財布から100ルピーを渡す。
そして物乞いが去った後、ワシの顔を見て、"さっきの人臭かったな"、と笑いながら言った。

クムジュンのゴンパにはロンプラにも載っているのだがイエティの頭が安置されているという。
それを2日前の宿で聞き、それは是非行かなければと思い実際来て見たのだが、いざ来て見ると一切興味がなくなってしまった。そんな訳でで結局ここまで来てイエティにご対面する事なくゴンパを後にし、パン屋でデニッシュと紅茶を飲んだ。その後そのエベレストビューホテルを訪問してみる。中に入って見ると、エベレスト関連の日本の本が売っていたり、燕山荘の布が壁にかけてあったりと、日本人宿泊者が多い事を示していた。年間何人くらいの日本人が泊まるのだろうか。

そしてナムチェへ戻る事にした。帰ろうとすると急に雲行きが怪しくなり始め、少し急ぎ足で戻る。
途中とても色合いの美しい国鳥ダフェに遭遇。写真を撮ろうとしている隙に、姿を消してしまった。
少し雨が降り始めたが何とか間に合いずぶ濡れになることなく宿に戻ってきた。

結局五時間、今日は高度順応も兼ねて歩いた。荷物無しで歩くとやはり断然に楽だ。
買い物をし宿で夕食をとり、ジョンがインターネットをすると言うのでわしも行くことにした。
久しぶりに携帯の充電をフルにすると変に嬉しくなってしまった。
でも既に充電は80%。毎日充電にお金を払うのはもったいないので節約して使わねば。
もらった夜行観覧車と言う小説をさっと読み終わらせた。内容もあまり好みではなかった。さぁ、寝よう。

【3/24の出費】

ブラックティー 60
ブラックティー 60
トゥクパ 300
電話代 100
パン 250
ブラックティー 40
レインカバー 150
スーパーで買い物 290
オムライス 380
ブラックティー 60
インターネット 300
チャージ 100
トータル 2090


【3/25】

朝方寒さで何度起きただろうか。寝る前は寝袋も温かいのだが、朝になるとここ最近かなり冷え込む。
六時半に起きパッキングをして見ると荷物が若干軽く感じた。多分すこし厚めのズボンに履き替えたからだろう。
できれば荷物は軽い方が良い。膝やくるぶしへの負担も減る。

ミルクティーとチョコレートパンケーキを食べ、八時前に出発。
ナムチェの村を出る際はすこし急な階段だったが、出てしまうとトレイルは緩やかもしくらフラットになり石も少なく歩きやすい。そして何より見える景色がすばらしい。

歩いていると日本語もしばしば聞こえる。
ある日本人グルーブが止まって行き交う人々にグッドモーニンと大きな声で挨拶をしていた。
前を歩いていた日本人にはおはようございます、と声をかけていたのにワシにはナマステと言ってきた。
フランス人と歩いているせいだろうか、ネパール人に思われているに違いない。。。

目的地のテンボチェが見える。距離にすると近いのだが、一度かなり下ってからまた600m登らなければならない。しかしそれを登ってしまえば今日は終わり。天気も良く急ぐ必要は全くなかったのでKyangjumaというトレイル沿いの村の茶店で紅茶を飲む。遠くにはガイが登る予定のアイランドピークも見える。

11時過ぎ、坂の手前の小さな村でランチを取った。
あまりの温かい陽気にうたた寝をしてしまった。そして一時、また歩き始める。
橋を渡り急な登りを登り始めた。ジョンが言うにはこれがこのトレッキングの最後のきつい登りらしい。
最後か、じゃあ頑張ろう、なんて思いながらゆっくりと登る。
確かに急ではあったがゆっくり登っていると何だかとても楽になってきた。
バックパックがいつもより軽いからだろうか。

ジョンは先を歩いている。いつも通りゆっくり登っている。
62歳というのに他のトレッカーを抜かし歩いて行く姿は頼もしい。わしも自分のペースで歩く。
途中止まろうとも思ったが風が冷たく止まると身体が冷えると思い、止まる代わりにゆっくりと歩く。
今日はまだ三時間程しか歩いていないし、うたた寝もしたので身体はまだまだ疲れていない。
このまま上まで一時間歩けば目的地のテンボチェに着くはずなので、止まらずに歩き続けよう。

そしてランチを取ったレストランから一時間二十分、登り切りテンボチェに到着した。
ゆっくり歩いたので意外に余裕だったが、喉がカラカラだった。水分を取るのを忘れていた。
到着後、少し腰をかけジョンが前回泊まったという宿を探すのだが明らかに村から離れる方向に歩きだしたので不安になった。"本当に大丈夫?"と聞くといつもの様にインディアナジョーンズだよ、と言って笑う。
が、折角登り切った後、合っているか合っていないかわからない方向に歩き、仮に違う場所に行ってしまいまた戻ってくるのが億劫だったので、もう一度確認をしてみる。体力を無駄に使いたくないと思ってしまった。
その上、気温は下がりみぞれの様な物も降ってきた。何と言ってもここは標高3800m、天気も変わりやすい。

ジョンの言う方向に行って見るたのだが、かなり道がぬかるんでおり、この先本当にロッジがあるか不明だったので
テンボチェの村に引き返し、そこの宿にする事にした。入ったのはTenboche guesthouseと言う宿。
一泊100ルピー、食事をするからという事で200ルピーからまけてもらった。
充電は一時間200ルピー。ガスシャワーは400ルピー。

宿は部屋もダイニングも暖かくとても居心地が良い。
トレッカーも多く話し相手には困らなさそうだなと思っているとトルコの国旗を袖につけたおじさんがいたので話しかけて見た。すると何語かわからないが何かを確認する様な言い方で何かを言っている。
さっぱりわからない、と笑いながらいうと、"オーケーオーケー、センセ一!"と言って来た。

個人的にトルコ人が好きなのでトルコに行った時につけていたトルコ語のメモを見ながらすこし会話をして見た。
そうしているとトルコにいた頃の事をぼんやりと思い出し、時の流れの早さを感じてしまった。トルコにいたのは確か九月。半年前、まだわしはトルコにいたのだ。

宿のすぐ近くにはゴンパがあり、ちょうど4時から開放されお祈りが見られるというので行く事にした。
ゴンパはこの辺りには何処にでもあるのだがテンボチェのゴンパは他と比べ少し大きい。
中に入り見学をし、しばらく座っていると僧侶がどんどんと中に入って来た。これからお祈りが始まる。
お祈りの風景はジュンベジのゴンパでも見ている。が、何度見ても神聖な雰囲気に包まれ、ここにいるべきではないのでは無いか、と思わされる。

ゴンパ内部。
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前回同様一人の僧が紅茶の入った金属製のポットを持って僧に配る。
湯のみに注ぐと同時に紅茶から湯煙が立ち込める。そしてそれを飲んだあと、その温度で吐く息が白くなる。
何十人もいる僧侶が同じ行動をしているのをみると不思議な気分にさせられる。
お祈り自体は前回のものとは少し違った。ベルや笛、太鼓などの楽器を鳴らしながらお祈りを唱えだした
。その楽器の音は調和が取れたものではなくドンチャンドンチャンと言った具合で少し驚いてしまったのだが、
何度もそれを聞いているうちに、何らかのメッセージなのかもしれないと思ってしまった。

一時間程ゴンパでお祈りの風景を見た後外を散歩し宿に戻った。
標高が上がっただけあって気温が落ちるのも早い。物価も本格的に上がってきた。
隣にあるベーカリーでは珍しくチョコレートケーキがあったのだがなんと400ルピーもするのだ。
そんな高くては買えるはずもなく、空腹になってしまったわしは昨日部屋で茹でたゆで卵を食べ、
インスタントの卵スープを空腹凌ぎに食べておいた。

六18時半に夕食。ツナのスパゲティを注文した。
宿泊者はストーブの周りに座りそれぞれ会話をしている。
ジョンはどこに行ったのかと思ったら外で話をしているようだ。
本を読みながら時間を潰し終え夕食が来た。
別のテーブルで欧米人がカレーをうまいうまいと言って食べているのを見てここは絶対料理がうまい宿だと確信まるで賭け事の様に。そして見るからにうまそうなツナトマトスパゲティが運ばれて来た。
少なそうに見えて意外と多い夕食に満たされ何だか賑やかな今日のダイニングを観察。

とりわけオーストラリア人とアイルランド人カップルがロンドンに引っ越しをする話を
オーストラリア在住のポーランド人が聞いてているのが目立っていた。わしはいつものようにジョンと
明日の事に話したり、カトマンズの日本食レストランの場所を説明したりしていた。トルコ人は
何やら真剣に読み物をしている。カップルは仲良さそうに一段落つけた後、お休みと言って部屋に戻った。
カップルでヒマラヤトレッキングなんてうらやましい。

ジョンと日本の事について話しているとポーランド人が興味ありげな顔をして会話に参加してきた。
日本には二十年前にビジネスで行ったことがあり、名刺の交換方法や会社でタバコを吸いまくる光景などを話しながら懐かしんでいた。話が少し盛り上がりまさかの21時前。もう寝る時間だと急いでその場を去ったのだった。
今日の歩行時間は四時間。ナムチェ以降歩く時間が短くなると言うのは本当だった。

【3/25の出費】
チョコレートパンケーキ 250
紅茶 70
フライドヌードル 300
ミルクティー 60
ツナスパゲッティー 450
ミルクティー 60
宿 100
トータル1290

【3/26】
6時45分起床。
ダウンジャケットを来て寝たおかげでかなり温かかった。何だか変な夢を見た。
大学を4年も留年すると言うもので、起きて一瞬流石に留年しすぎだ!と焦って起きた。

出発前に周囲を散歩する。
小高い丘のような所に上がってみると、村が眼下に見えた。

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そして9時に出発。
天気は快晴、宿からは標高6800mアマンダプラムが太陽の影にありながらもその存在感を誇示している。
テンボチェの朝は太陽の光が気持ちよくついゆっくりと紅茶を飲んでしまう。
目的地はデンポチェ、ここから四時間ほどで着く。急ぐ必要は全く無いのだ。
標高は4000m近くまで上がって来た。標
高が上がればその分周囲に雪のかかった山が広がり景色もどんどんと良くなって行く。

テンボチェをスタートした後、眼下に流れる川を見ながら6000m級の山々を見て歩く。

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道はフラットな所が多く負担は殆どなかった。10時45分、パンボチェと言う村で少し休憩を取った。
そこに居た陽気なガイドと話していると、ここからロツェとエベレストが見えると教えてくれた。指差す方向を見てみると少しだけ頭を出した世界最高峰が見える。久しぶりの再会だった。考えてみればトレッキング3日目にかなり遠くからエベレストを見て、出発8日後の今日、こうしてまたエベレストを見る。その距離はかなり近くなり、遥々歩いて来た甲斐があったと正直嬉しくなる。
休憩後、正面にエベレストとロツェを見ながら歩く。今までで一番いい景色を歩いているなと思った。
現在標高は4000m程。ありがたい事に体に変化は無い。

12時15分、SONAMという村に到着。ここで昼食をとる事にした。背後にはアマダプラムが綺麗に見える。
ナムチェに居た頃周りの景色の素晴らしさに感動していたが、今日の景色は比べ物にならない程すごい。
久しぶりにピザを頼んだ。山のピザはあまり期待出来る物ではないのだが、少し違った物を食べたくなる。
ちなみにここでコーラが300ルピー、ピザは380ルピーする。

13時30分、今日の目的地であるデンポチェを目指し歩き始める。
ここから歩いて2時間だと言う。先ほど見かけた南アフリカのグループが直ぐ前を歩いていた。

丁度歩き始めて2時間後、目的地のデンポチェ(標高4358m)に到着。意外にも大きな村だった。

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ジョンが宿はユウスケが決めてくれて良いよと言うので良さそうに見えたMOON LIGHT LODGEという
ロッジに入った。一泊100ルピー、チャージは300ルピー。ダルバードはいよいよ500ルピーを突破。

通常ペリチェと言う村かこのデンポチェに泊まりエベレストベースキャンプを目指すのだが、
デンポチェは立地的にとても明るく日差しが気持ち良い。逆にペリチェは谷の底にあるため
日が当たっている時間が短いと、ジョンが教えてくれた。チェックインを済ませ宿に広々とした
洗濯干場があったのでまず洗濯を済ませた。

ダイニングに行ってみるとナムチェのチェックポイントに居た日本人女性とアメリカ人の
カップルと偶然の再会。今度は宿が一緒なのでゆっくり話せるなと思うと嬉しかった。
宿のロケーションはすばらしい。ロツェやアイランドピーク、アマダプラム等の山が間近に見る事が出来る。

今日のトレッキングは息を飲むような光景の連続で最高だった。
4000mを超えてからの風景は今までとは変わり荒廃としているものの
地球を感じられるが故、どんどん壮大になって行く。山はいいなと素直に思った。

デンポチェには高度順応をかねて2泊。
一通り落ち着いたのでいつもの様にダイニングで紅茶を飲みながら
他のトレッカー達と話をする。今日はイスラエル人のバラックと言う青年と
ユダヤ教について色々と教えてもらった。英語がとてもうまく、わしの旅についても
興味を持ってくれたおかげで珍しく話し込んでしまった。その後はその日本人女性と
話した。日本語でゆっくり話すのが久しぶりだったせいか、夕食が運ばれてくるまで
話が止まらなかった。何とも今日は良く喋る日である。久しぶりに日本語で話していると
やはり細かいニュアンスを伝えるのは日本語が一番だなとしみじみ思ってしまった。

夕食のダルバードは500ルピーと値が張ったがとても美味しくおかわりもたっぷりさせてくれた。
何となく日本のカレーに似ており、短時間の間に2杯食べてしまった。
時間はあっという間に19時になっており、早々と部屋へ戻って行くトレッカーも多い。
少し前まではまだ19時か、と感じていたが、今ではもう19時かと感じるようになっている。
時間の感覚とはそういうものなのだろうか。

この辺りの発電はもちろんソーラーだったが、奇跡的にダイニングにはTVを見る事が出来たため
残ったトレッカーと一緒にナショナルジオグラフィックを見た。が、あいにくバッテリー切れのため
そうは長く見れず、部屋に戻る事にした。山でテレビを見たのは後にも先にもこれ一回だった。

ここまで上がってくると部屋の中でも息は白くなる。一体何度くらいなんだろう。
部屋の電気の明かりは弱々しくあってないようなものだ。ヘッドライトで本を読みながら寝る事にしよう。
今日は月が綺麗だった。

【3/26の出費】
ムスリ 260
ミルクティー 70
ブラックティー 60
ブラックティー 70
チキンピザ 380
ブラックティー 50
ミルクティー 70
ダルバード 500
ブラックティー 70
チョコレート 150
宿 100
トータル 1780


【3/27】

夜中の寒さのせいか何度も起きてしまう。
体は温かいのだがどうしても呼吸の度に顔をダストその際に冷気が寝袋内に入ってくる。
なので睡眠は繋ぎ繋ぎで寝ている感覚だった。起きると8時。カーテンを開けると
何度見ても驚く程の青い空とタボチェと言う山がこちらを覗き込んでいるようだった。

昨日の日本人とアメリカ人のカップルが節約のため一日一食しか食べないと言うのを
聞いたためか、わしも朝は抜いて昼と寄るだけにしよう考えたが、無性にトーストが食べたくなったので
ベークドビーンズとトーストを朝食に注文。朝食を食べた後、あまりの日差しの気持ち良さに11時頃まで
ぼーっと外の席で他のトレッカー達とのんびりしていた。
昼は抜いてしまおうと思っていたが、これから宿の裏手にある5090mの山に高度順応を兼ねて
登る予定だったので、シェルパシチューを食べる事にした。

このMoon Lightと言うロッジの店主はとても面白く優しい人で、片言の日本語も話す。
この人が居るせいかロッジの居心地もとてもよかった。そして昼過ぎ、ジョンと共に
その宿の裏手にあるNangkartshang、5090mの山を登り始めた。

ロッジからはその山の頂上は見る事が出来なかったが、とりあえず急な道をゆっくり登り始める。

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ストゥーパを経由しトレイルがあったのでそれを歩く。遠くの方に昨日見た南アフリカのグループが
歩いているのが見える。昨日の時点であんなに息苦しそうに歩いていたのに一体大丈夫なんだろうか
と心配になってしまった。横を見るとアマダプラムが目の前に見える。それもものすごくそばに。
アマダプラムはこの距離からだと頂上や山の表面の岩の層まで鮮明に見えた。

こうやって近くから見ているとなんだか簡単に登れそうな気になってくるが、6800m以上の頂きに登るのは困難極まりないに違いない。ちなみに近くに居たガイドに聞いてみるとアマダプラム登頂にはパーミット代だけで200USD、その他諸々含めると10,000USDもしてしまうと言う。ネパールでの登山には本当にお金がかかるのだ。

風邪が強く雲がかなりの勢いで動いているのを見ていると、高い所に居る事を実感する。
既に半分以上登っており村もかなり下に見える。高所恐怖症と言う訳では全くないが
流石に足がすくんでしまった。

どれくらいの高さなのかははっきりわからなかったが、3分の2を超えた辺りで
少し頭痛に襲われた。といっても軽度の物だったので、少し止まり深呼吸をして歩き始める。

想像よりもしんどいものだったが、2時間10分程で頂上に到着した。あいにくの曇りで
気温も低かった。到着時頂上から見るアマダプラムは雲に覆われていてその姿が見えなかったが、
不意に雲が無くなり姿を見せた。まるで巨大なモンスターの様な威圧感を伴っていたが
また直ぐに雲のせいで見えなくなってしまった。

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10分程そこで時間を取り、早々に下山する事にした。
下山には1時間15分程しかかからなかったが、その分足への負担があった。ただ毎日歩いているだけに
筋肉痛が翌日発生すると言う事はもう無くなっている。

宿に到着し、今日はもうやる事をやったという感じだったせいかダイニングでずっと
日本人の女性と旅の話をしていた。彼女も15年前には長い旅に出ていたそうで、当時の話を聞きながら
共感出来る事柄が沢山あったので面白かった。

周りを見てみると今日はトレッカーが多く、とても賑やかだった。
その中に居た明るく陽気な香港人の4人組は何度もネパールに来ているそうで、その話をしてくれた。
日本語を話す香港人のおばちゃんもおり、"ワタシノニホンゴ、チュウガクヨネンセイ"と言っていた。
中国人に比べて明るい印象の香港人。彼らと話しているとエストニアで会ったロックを思い出した。

今日は何かと交流の多い日だった。
昨日は19時過ぎに部屋に戻って行ったトレッカー達も今日は楽しそうにカードゲームをしている。
わしもこうして夜が更けるのを待っている。日記用のノートを持って来て正解だった。
そういえば、ここに居るカナダ人とオーストラリア人のカップルはカトマンズからルクラに来るのに
飛行機が4日連続キャンセルになり、結局もう待っていられないとヘリコプターできたそうな。
ヘリコプターは一人300USD。やはり飛行機は頻繁にキャンセルになるらしい。


【3/27の出費】
トースト+ベイクドビーンズ 350
ブラックティー 50
シェルパシチュー 350
ミルクティー 70
ダルバード 500
ミルクティー 70
お湯 40
宿 100

【3/28】

何度も寝返りを繰り返しその度に起きていた。こんなんで本当にちゃんと睡眠が取れているのか
わからなかったが、それなりに頭はすっきりしていた。
8時に体を起こした。今日は歩行時間が短いためいつも通りに起きる必要がなかった。
朝食はナムチェで購入しておいたスニッカーズで済ませた。山での生活費を考えてみると
特に不必要な物を買っている訳では無いのに、高い食事代にかなり使っているような気がした。
カトマンズで3食日本食を食べているよりも使っているに違いない。

宿で知り合った他のトレッカーは既に出発しており、イスラエル人の二人も直ぐに出る所だった。
個人的にはイスラエル人はパーティーが好きで良く遊ぶ、そういうイメージだったが
山で会うとそうは見えず、とても健全に見えてしまう。まさにそれを偏見と言うのだろう。。
晴れ晴れしく彼らを見送り、わしらも準備をし、9時過ぎに出発する事にした。
今日の目的地はここから2時間のチュクン。高度も5000mに近づく。

しかし心配していた雪は、4000mを超えた後もトレイルには全くなく、プラスして
傾斜も緩くなり、歩き易い。歩き始める時は高所のためか息切れが多少あるけれど
少し歩き出すとそれも慣れる。今日はジョンも快調。62歳の初老フランス人は快調に先頭を歩く。
1時間半程歩いた所にぽつんと一軒だけ茶店が会ったのでそこで休憩をする事にした。
今日は雲が多いが比較的温かい。ただ昨晩は寒かった。
ジョンの時計は0℃を示していたらしい。寝袋だけでは寒いのでブランケットが必要になりそうだ。
茶店で紅茶を飲んでいると3人のシェルパ少女が小さな猫をわしらに紹介してくれた。
"この猫は私の娘みたいなものよ"と、嬉しそうに猫を撫でていた。
しかしまぁ、4500mを超えた場所で猫がいるとは思いもしなかった。不思議なものだ。
数枚の写真をそこから撮った後、ここから20分足らずのチュクン村を目指す。

アマダプラムが直ぐそばに。



そして12時前、チュクンに到着。
歩行時間は2時間20分と短かかった。
宿は村の真ん中にあるHimalayan Makalu Lodgeという所に決めた。
1泊100ルピー、チャージは1時間300ルピー(実際フルチャージで300ルピーだった)、
ダルバードは400ルピー。
この宿に決めたのはご飯が他よりも安いと宿の前に座っていたインド人が教えてくれたからだ。

宿にはこれからアイランドピークBCに行くグループが滞在していた。そのグループに
同行していたシェルパは日本語を話す事が出来たのでしばらく会話をした。
宿の雰囲気も山小屋らしくなってきた。気分も少し盛り上がってしまう。
アイランドピークへ向かう人々はトレッキングでは無く、既にクライミングとして区別され
クライミングをするためには少し高額の許可が必要になると日本語を話すシェルパが教えてくれた。
やはりトレッキングとクライミングでははっきりとした装備の違いがあるし緊張感も確実に違う事が
感じ取れる。危険度もそれなりに上がるのだろうか。

久々のフライドポテトとサンドイッチを注文。
やはり昨日の宿の比べても安く、ついつい頼みすぎてしまいそうになる。
ここには2泊し次に進もうと以前から行っていたのだが、今後のルートをジョンと話していると
まるで前から話していたかの様にジョンがここには3泊してアマダプラムBCに行こうと言い始めた。
全く考えていなかったので聞いた瞬間戸惑ってしまったがわしもそこがどんな所かわからなかったので
少し考える時間をもらった。ジョン曰く、時間があるから時間的な問題はないよというのだが、
もう早い所からバタールに行って本来の目的を果たしたくなっていたのだ。そしてもしルクラに
早く着くのであれば、また飛行機の日を変えてしまえば良い、そう思っていた。同時に日本食の
事もぼーっと考えてしまった。

今日は天気が悪く、外に出かける予定も無いためひたすらごろごろとするしか無かった。
それでもテントで寝るトレッカーも居る。
この寒いのにテントで寝てる人も居る。

blog5DSC_7680.jpg


そうしながら唯一の催し物である夕食の時間を待っていた。
時計を見るととあっという間に6時半になっていた。一体いつの間にこんなに時間が過ぎていたのだろうか。
気付けば着火されたストーブに気付き、ストーブの前に椅子を置いて座っていた。
ストーブの燃料は薪ではなく乾燥させたヤックの分を使用していた。
4700mともなると木も生えていないので自然とそうなるのだろう。
まさに究極のエコと言うのかもしれないと思った。

夕食前に一人のクライマーがアイランドピーク登山から戻って来た。
彼の表情はまさに疲労困憊といった様子で、何も話そうとしていなかった。
登りきったと言う達成感は疲れによって既に姿を消してしまったようにも見える。
そんなに辛い物なのか、少し恐ろしくなった。
彼のガイドに聞いてみると登頂後、ここに戻ってくるのに14時間も歩いたそう。
それは何もする気が起こらない訳だ。

さて待望の夕食タイム。ダルバードが最近多かったので気分転換にマカロニを注文した。
これがまた大正解。ゆでたマカロニとナックのチーズのみのシンプルな物だったが
少し味が濃いめでとても美味しかった。となりに座っているロシア人らはファミリー+
息子の友達で登山に来たのだと言う。最初は少し絡み辛い感じだったが話すとそうでもなかった。
加えてよく笑う家族で、一体何が会ったのかはわからなかったがひたすら4人で笑っていた。
何かをバカにしているような笑いでもあったし、素直にジョークを楽しんでいる笑いにも聞こえた。

夕食を終え、ジョンとまたルートの話をした。
正直にここに3泊するのはあまり気が進まない事を伝えると、意外にもジョンは主張する事無く
"わかった、じゃここには2泊にしておこう。ユウスケの希望通りで問題ないよ!"と言ったのだ。
少しの間だったが何でいきなり3泊するとかいいだすんだよジョン、と少しイラッとしてしまった
自分があほらしくなった。わしはてっきりジョンがここに3泊してアマダプラムBCに本気で行きたいと
思っており、そういう事であればわしは一人で先に進もうとまで決めていた。ただやはり
初日にたまたま会い、既に2週間毎日共に歩いて来た友人を置いて行くのは後ろめたい気分だった。
勝手に色々と考えてしまわず最初から言っておけば良かったのだ。
でもこれで目的地のカラパタールまで行き一緒にエベレストが見られる。
そう思うとかなりすっきりした気分になった。とにかく一件落着。よかった。
また少し、ジョンとの関係が近くなった気もする。

就寝時間の20時半まで紅茶を飲みながらガイド達とストーブの周りに集まり話をした。
宿の息子は10庇護にエベレスト登頂に同行するらしい。そんな息子の隣に座っている母親は
その事をやはり心配に思っているのだろうか。それにしても宿の家族がとても優しく癒される。
特に76歳のおじいちゃんはいつも口をぽかーんと開けながら目が合うとにこりとしてくれ、
とても和んでしまう。明日はチュクンリという5500mの山に登る。

【3/28の出費】
ミルクティー 70
サンドイッチ 400
ブラックティー 40
宿 100
ブラックティー 40
マカロニ 320
トータル 970

続く。

仮) 始めてでも出来る海外トレッキング ヒマラヤ編 Day6 - 10

2013年04月21日 01:35

22:01,4/20、ゴア、インド

ちょっと後悔して来た。
トレッキングの際の日記を見返していたら、、、、量が膨大!w
でもDay1 - 5を既にアップしたので最後まで書きます。でも今はゴア。早く追いつきたし!

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【3/19】

6:15起床。
準備にはいつも時間はかからない。五分もあればバックパックに荷物を詰め、出発出来る状態になる。
下におりてメニューから食べたい朝ごはんと紅茶を頼む。
頭は完全にすっきりしている。外に出るとまだ寒い。温かい紅茶が身に染みる。
朝のこのゆったりとした急がない時間はとても優雅に感じる。出発までの時間をジョンと話をしながら過ごす。

あまりこの旅では早起きをしていなかったせいか、たまにこういう生活サイクルになると、自分が健康的な生活を送っている事に対して満足感が産まれる。"さぁ、いこうか!"、ジョンがそう言い7時30分、バックパックを担ぎ宿を出る。今日はヌンタラという村まで歩く。天気が良ければ途中でエベレストが見られるそうだ。ジュンベジ村のストゥーパを過ぎ、ヌンタラまでのトレイルに入る。今日は900mの上りだ。

今日は珍しく外国人トレッカーが居た。話してみるとイスラエル人で、今日の目的地が同じなため一緒に歩く事になった。一時間登るとフラットなる。筋肉痛がほぼなくなったおかげで今日は体も軽い。すいすいと眼下に広がる渓谷を眺めながら歩く。標高は現在3000m程。9時30分、先を歩いていたジョンが突然ワォー、と驚き始めた。
どうしたものかと追いついてみると、素晴らしい景色が広がっていた。

そして少しだけエベレストを見る事も出来た。Phurtyangという場所にあるティーハウスでその雄大なヒマラヤ山脈を見ながら紅茶を飲む。ジョンはここに四度もきているがここからこんなに綺麗に山が見えたのは始めてだそう。故に驚いた訳で、こんな景色がここにある事も知らなかった。これだからトレッキングは辞められないのだ、と嬉しそうにジョンは言った。

blog5DSC_7385.jpg


そこから次の村Ringmuまでは殆ど下り。少し早足で歩きたかったので先頭を歩いた。
何でも無い下りだった。少し先を見ながら呼吸に集中し下る。気づくと二人はかなり後ろにいた。
Ringmu手前の急な登りを登り、12時20分に到着。

約一時間半の昼食、ダルバードをゆっくりと頂いた。昨日まであまりなかった食欲も今日は回復した。
13時45分、ヌンタラを目指して歩く。レストランのスタッフが言うにはここから三時間だそう。
どこの人も本当に親切で穏やかだ。

一時間ぴったり、少々傾斜の強い上り坂を登る。
登り始めはイスラエル人のガイとこれまでの旅の経緯や家族の事を話しながら歩いた。
彼の祖父母はイラン人だったそうだ。ホメイニーがイランを統治する以前はイランはユダヤ人に取ってとても住み易い国だったという。現在のイスラエルとイランの関係をこれまでに見てきた自分としては祖父母がイラン人のイスラエル人に会って何とも変な気分になってしまった。

今日はトレッカーをよく見かける。殆どが下りて来る人だが今迄ほとんど見なかっただけに、何だか山が賑やかになった気分だ。ポーターや地元の人も大きな荷物を背中に背負って行き交う。
本当に信じられない程大きな鉄の板を運んでいる人さえいる。

14時45分、登り切った。ここにも茶店とストゥーパがある。
3092mと標高を示す看板がある。ここからは2時間下るだけだ。
下りの道はかなりぬかるんでいた。たぶん最近降った雨のせいと、その道のうえを馬があるいたせいだろう。
といっても靴がすべてうもれてしまうということはなかった。そこから一気に下った。

2時間と聞いていたのでどれくらいで行けるか試して見たくなり休憩なしで下り続ける、村が下に見える。
それほど遠そうにはみえない。音楽を聞きながら、たまに歌いながら小走りで下るのは楽しい。
そして村の端の茶店についたのは一時間と五分後だった。そこで紅茶を飲見ながらジョンとガイを待つ事にした。
しかしどこでもそうなのだが鶏が多い。最近肉をあまり食べていないせいか、鶏をみるとKFCを思い出して腹が空く。
山のレストランはどこでもメニューがよく似ていて、既に少し飽き始めている。
幸い動いた後に食べるのがほとんどなのでなんでもうまいのだが、それでもカトマンズの日本食屋が恋しくなる。
この先トレッキングルートを変更して少し長めになるかもしれないし予定通り4/3に戻るかもしれないがとにかく戻ったらカツ丼を食べようと心に決めている。いや、そばでもいいな。

今日の歩行時間は6時間15分。ガイドブックはいつも正しい。
茶店で三十分程待っていると彼らが到着。読み出した本を仕舞いゲストハウスへ向かう。
今日のゲストハウスはHimalayan Trekker Lodgeという宿。水150ルピー、チャージは無料。
ジョンが二年前にも利用している宿だ。毎度毎度ジョンは宿に着くと、二年前に来たんだよ、覚えてる?と尋ねるのだがまだ一度も覚えている人はおらず。そりゃそうだなと笑うジョンはとてもお茶目なおじさんなのだ。

ヌンタラ村
blog5DSC_7395.jpg


宿についた後、靴の一部が壊れて来たため接着剤を購入。
この靴も一体どれくらい保つのかは不明だが、出来る事ならカトマンズまでは持って欲しい。
旅の最初の立ち寄り先のハワイで購入しもうすぐ二年前。
おそらく80以上の国、200以上の都市を共に歩き、ペルーのインカトレイル、ベネズエラのロライマ山、ポーランドのタトラ山、タンザニアのキリマンジャロ、グルジアでのトレッキング、ずっとこの靴だったからいざこの靴が壊れ出し新しい靴を買う事を考え出すとやはり少し悲しい。本当ならこの靴で日本の空港に降り立ちたいのだが、これ以上酷使するのもかわいそうに思える。これまでの一緒に旅をして来た数少ないアイテムの一つなのだ。

宿に戻り夕食を食べた。我々が宿についた後、オランダ人トレッカーも仲間に加わった。
彼も明日同じ方向に向かうので、明日はおそらく四人でブプサといく村へ向かう事になると思う。
シングルトレッカーが四人集まりグループになってしまった。
始めは一人でいけるものかと思っていたが、今では四人。運が良いと改めて思う。

ジョンとも日に日に仲が良くなっている気がする。彼も自分に対しては好意的だし、もちろん自分もそう思っている。たまにおかしくなる時があるが、それでも62歳とは思えないほど明るく話好きで親しみやすい。
出来る事なら出来るだけジョンと共にもっと歩きたいと正直思い始めた。
ただのトレッキングでは無く、こうやって新しい人々と理解を深めながら目的地を目指す。
これは旅の醍醐味の一つなのだ。
夕食後、この先のルートや日数の打ち合わせをし、ジョンは8時に部屋に戻って行った。
いつもより三十分早いが、自分も部屋に戻りストレッチをする事にした。
自分の体がどれだけ疲労しているかは正確にはわからない。しかし今日もよく歩いた。本を読みながら寝よう。


【3/19の出費】
アップルムスリ 220
紅茶 50
紅茶 50
ダルバード 300
紅茶 30
紅茶 20
接着剤 70
チーズフライドライス 300
紅茶 50
ミルクティー 50
トータル 1140

【3/20】

6時15分起床。寝起きはこの所とても良い。アラームで目を覚まし窓の外を眺め天気が良い事を確認する。
そして体温であたたまっている寝袋の中で少しだけ体を完全に起こすまでの時間を取る。
二度寝をしてしまことはない。山小屋料理に空き始めていたため今日の朝食はご飯だけ頼み、持って来ていた味噌汁をかけ猫まんまにして食べた。なぜかはわからないが疲れの取れる味がした。アミノ酸を感じたのだろうか。

今日の歩き始めは7時40分。ブプサと言う村まで歩く。
ブプサにな大量のお湯が出るシャワーのあるロッジがあるとジョンから聞いていたので出来るだけ明るいうちに行きたかった。村を出てから一時間半歩いているがほぼ下り。
大きなガスのタンクを運んでいるドンキーの群を追い抜かす。

ドンキーの群れ。
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見たところドンキーはあまり歩きたく無いらしくムチや罵声が無いと進んでいないようだ。こんな山の中ではドンキーは物流の要。その後もしばらく石でできた不正列な階段の様な所を下っていく。全く以上無し。このままブプサまで一気に行きたいぐらいだ。

10時30分、ジュビンと言う村を通過。
そこから怒濤の登り。全く想像していなかっただけにきつかった。
本来海外でトレッキングをして見たい、と思う人にヒマラヤトレッキングだって始めてでも簡単にできますよ!と言う事を自分で歩いて見て伝えるために書こうと思ったのだが、嘘でも簡単にエベレストベースキャンプまで行けるとは言えない事が既に実証されてしまった。
毎日の上り下り。まるで毎日日本で登山をしている様なものだ。

そして12時36分、カリコーラと言う村に着いた。ここで昼飯。既に今日は4時間歩いている。
目的地のブプサまでは後一時間半あれば着けるはずだ。カリコーラで昼食を取り、残りを歩く。
村を出て下り、橋を渡る。
そこから急な上りを登り始める。上を見ながら歩くのは何だか途方もない上り坂を登っている感覚になるため足元を見て一歩一歩歩く。

山登りと言うのは色々な教訓を教えてくれる。そこに座っていても目的地に着く事は絶対にない。
ゆっくりでもいいから足を前に出し歩き続ければいつかは着くのだ。しんどいがそう思いながら歩く。

一時間、登り続け、三時半、ようやくブプサに到着した。山の上にある小さな村だ。数件のロッジがある。
あいにくジョンが以前来たと言うロッジは閉まっていた。最高のホットシャワーがあると聞いていたので残念だが仕方が無い。その先にあったSundup lodgeという宿に入った。一泊100rp. 部屋にコンセントが一つある。

ブプサ村。
blog5DSC_7399.jpg


さて、カトマンズを出発してからと言うものシャワーを浴びていなかった。
今日こそはと昨日から決めていたのでホットシャワーはかなり重要だった。先に洗濯を済ませよう。
天気は良く無いが汗臭いシャツをそのままほったらかすのも忍びない。ささっと洗い流すとガイがシャワーから出て来た。"どうだった?"と聞いてみると、"熱かった!"、と言う。すぐにシャンプーと石鹸を持ってシャワールームへ。バタン。久しぶりのシャワータイム。ここのシャワーはガスののためかなり熱いと言う。

結果、熱すぎる程だった。余りの気持ち良さになかなかシャワーを止める事が出来なかった。
久々のシャワーは最高だった。今日はいつもより時間も早かったので早めの夕食を取る事にした。
注文をしダイニングで話していると宿のオーナーが凄い事に気づく。何と2010年にエベレストに登頂している。
エベレストだけで無くマカルーやPuthahimchul、パキスタンのBroaなど、完全なる登山家だった。
数分前にわしは色の黒いにーちゃんだなーと思っていた自分が恥ずかしくなる。
そればかりでは無く、軽率にわしの親戚にそっくりだなー、と言っていた。人は見かけによらないのだ。

ジョンもガイもその事実を知ると矢継ぎ早に質問を始めた。
これまでに行ったエクスペディションの話や五日間7000m以上の山でほとんど何も食べずに過ごした話、
殆どのネパールの山に登ってきた話、8000mでタバコを吸った話、話は尽きなかった。

彼はまだ27歳。14の時にトレッキングを始めたと言う。彼も最初はポーターから出発している。
夕食のスパゲッティー本物のボロネーゼと比べるとさすがに及ばなかったが、あんかけ風のソースとぶよぶよになったスパゲッティはそれはそれでよかった。食事を終え、また宿主とその子供と話しながら時計は進む。もう八時だ。そろそろ寝なくてわ。


【3/20の出費】
ライス 200
ボイルドウォーター 30
紅茶 50
紅茶 30
紅茶 30
ダルバード 250
宿 100
スパゲッティー 330
紅茶 40
シャワー 200


【3/21】
目が覚めて腕時計をみると7時20分となっており慌てて体を起こしたが、よくみるとストップウォッチの画面だった。正確な時間は6時15分。寝坊をしても流石に誰かが起こしてくれるだろう。早い物でトレッキングを始めてから一週間になる。頼んでいたエッグサンドイッチはうまかった。久しぶりの洋食と言えば洋食。

7時50分出発。しかしこの天気では洗濯物が乾くわけも無く日も出ていないので歩きながら乾かすわけにもいかない。お陰で2キロ以上重くなっている気がするが、仕方なくビニール袋に詰め込みバックパックにしまった。
それに今日は朝からあいにくの下痢。ガイの腹の調子も悪いみたいだ。何か昨日食べた物で良くない物でもあっただろうか。好ましくない状況が幾つかあったが仕方ない。行こう。今日は7時間程歩く予定。歩き始めから何度も上り下りが続く。よりに寄って水を含んだ洗濯物で荷物が重くなっている時に。

どうしようもない事だとはわかっているのだが下り終わった後、また目の前に当たり前の様に出現する急な登りのトレイルをみると、嘘だろ、くそっ、と少しだけ感情が乱れる。ガイドブックにはこのコースには根気がいると書いてあったが、ようやくその今が理解できた。

それでも登りきりカリラという村ででティータイム。そこからトレイルは落ち着きなだらかになるが、激しくぬかるみ始める。今日もせっせとナムチェへ物資を運ぶドンキーの往来は激しい。こんな道をよくドンキーは重い荷物を持って歩くものだ。可愛い顔して。くの字型の後ろ足を器用に使い、それでもたまに滑りながらひたすら歩いていくドンキーの群れ。

泥が足にまといつく。靴が重くなっていることに気づくとまた気持ちが乱れる。気分転換に音楽をかけて歩こう。
普段なら綺麗な景色を見ながら歩けるのだが、あたりは霧で覆われているため殆ど何も見えない。
歩いていると腹の調子が悪くなったのでそこにあったレストランのトイレに駆け込んだ。最近下痢が続いている。
何とかトイレも間に合い歩き始めようとするとガイが追いついていた。

そのレストランでいきなり彼のバックパックを漁り始めた。どうしたのか聞くと携帯が無くなったらしい。
宿に忘れてきたかもしれない、と言って荷物をそのレストランに起き、三十分程登ってきた道を戻っていた。
自分がガイの立場だったら戻るだろうか。せっかく歩いて来た道を戻りまたここまで来なければならないと考えてしまうだろう。
まぁ、すぐ追いついてくるだろう、そして歩き始めた。

歩いていると先に歩いて行ったジョンが待っていてくれた。どれくらい待ったのか聞くと15分と言う。
とにかく追いついてよかった。そこで一杯の紅茶を飲み、また歩く。歩いていると雨が降ってきた。
小雨なのですぐ止むだろうと思っていたが、なかなか止みそうにない。

途中の村。田舎だ本当に。

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12時、少し雨の中を歩きプーヤンと言う村で昼食を取ることにした。
入ったレストランはシェルパのおばさんが切り盛りしている所で英語はあまり話さなかったがとても親切だった。
そして雰囲気がとても愛らしい。ダルバードを食べながら外を眺めてみるが雨はまだ降っている。
霧も濃くなりやがて空が真っ暗になり始めた。
今日はChheplung と言う村までいくつもりだが、このまま雨がやまなければどこか手前の村で泊まる事になりそうだ。とにかくこのレストランはストーブがあって温かい。このまま雨が続いてもここでゆっくりすれば良い。
ガイもまだ追いついていないから、ガイを待ちがてら時間を潰そうと思いながらダルバードを食べ終わった。
すると雨はあられに変わりどんどん気温も落ちてきた。あられは激しさを増し、あっと言う間にあられが積もり始めた。

諦めてストーブの周りでまだ濡れている洗濯物を乾かす事にした。少しでも乾けば荷物が軽くなる。
洗濯物を取り出しストーブの近くに服をよせる。少しすると蒸気がでてきた。しかも大量に。やっているうちに楽しくなってきた。もしかしたら全部乾かせるのでは、なんて思い始めた。かなり長い間乾かしていると完全では無いがかなり乾いた。

時間は14時、いずれにしよもう少し前に進んでおいた方が良い。
まだ少し雨が降っており、ガイもまだ来ていないが出る決心をした。おばさんにお礼を良い外に出ると丁度のタイミングでガイが歩いてきた。雨具を何も持っていないガイはかなり濡れているようだったが本人はそこまで気にしていないようだった。

携帯がどうなったか聞いてみるとどうやら宿で盗まれたらしい。宿のオーナーも同時にズボンを盗まれたらしい。
犯人はそこで二日だけ働いていた少年だそうだ。今朝方失踪したらしく、彼の犯行だと言う事は明らかだそう。
宿のオーナーは近くの村々にその少年を見つけたら捕まえるよう連絡までしたらしい。

さて、三人揃った。行ける所まで行こう。雨は止むどころか激しくなっていた。
折り畳み傘があったので、雨自体は気にならなかったが、道がぬかるみ、さらには雪まで積もっている。
ガイは一刻も早く目的地に着きたいのか物凄い勢いで歩いて行き、あっという間に見えなくなった。
結局ジョンと一時間ほど歩き、一旦雨宿りのためまた別の茶店にはいった。
雨宿りの茶店にいた二人のシェルパも連絡を受けたらしく泥棒のことを知っていたのだ。
宿のオーナーがちゃんと連絡したのか。狭い村社会では悪い事はするものではないなと思った。

雪のかぶった山々が近づいて来た。

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そしてここからは下りだった。少し距離がありまだ雪も残ってる道だったが岩が多く、その上を歩いていけば濡れずに済むし比較的歩きやすい。何度か滑りながらSurkeと言う村に17時半に到着し、村の始めにあったEverest trail lodgeという宿に入った。
一泊50rp. チャージは2時間200ルピー。

宿には先日のオランダ人グレッグもいたし、韓国人や欧米人が何人かいた。
この村を上がった所にあるルクラには空港があり殆どの人がカトマンズからルクラに飛びそこからトレッキングを始めるため、ここから先は混雑するのだと言う。ダイニングルームでは真ん中にあるストーブのまわりに濡れた靴がびっしりと並んでいた。
今日は天候のせいかだいぶ疲れたので、すぐ夕食にし、その後他のトレッカーと話をし早々と部屋に戻った。
ジョンは今日はよく笑っていた。仲間意識が生まれてきた気がした。

【3/21の出費】
ミルクティー 50
サンドウィッチ 240
水 150
紅茶 40
紅茶 50
ダルバード 250
プラスチックボトル 500
カレー 300
紅茶 40
トータル 1620

【3/22】

朝起きるのは全く苦痛ではない。決まって六時半前には自然と目が覚める。
今までと比べて明らかにトレッカーが多く、朝ご飯の時も何だか少し賑やかに見えた。
8時前、外に出るとまだ寒かったが、昨日の天気からは信じられないほど満点の青空。おかげで気持ちも晴れ晴れとしている。
歩き始めるとやはり少々雪が残っていたが、この天気ならすぐに溶けて乾いてしまうだろう。
Surkeの村の橋を渡るとそこから登りから始まる。朝一いきなりの登りだったが、事前に地図を見る限りでは今日の行程はあまりアップダウンがなく一定している様に見えたので、焦る事はない。

この辺りの人々は本当に重そうなものを担いで歩く。歩いていると100kgの木を背中に乗せて歩く地元民とすれ違った。唖然としてしまい、かける言葉が思いつかなかった。しかし今日は不思議と三人で歩いていることに、無性に我々はあぁ旅をしているんだなと思う。偶然出会った仲間と共に歩いて目的地を目指す。
そして一日の終わりはグッドナイトで終わり、始まりはグッドモーニングと一杯の紅茶で始まるとてもシンプルな生活。見るものといえば地図くらい。毎日その日得た新しい情報を下に地図を眺めながら俺はこう行く、我らはこうだと言ってルートを検討する。本当に余分なものがないとてもシンプルな旅をしていると感じる。それはとても嬉しいことだった。

それにしても空港がすぐそばにあるせいか飛行機の往来が凄い。
昨日の悪天候で帰れなかった人もさぞいる中、今日の飛行機は帰れなかった人々を一生懸命カトマンズに向け輸送している。

しかしこの空港、標高2800mにある上、滑走路の長さが足りないため、山の傾斜を利用して離発着しているのだ。
つまり滑走路が傾いているのだ。故に高度な離発着技術が必要なため、世界で最も危ない空港の一つとも言われている。

時計を見ると9時15分, Chaulikakaという村を過ぎた。村の中心部はトレッカーが増えるせいか今までよりもツーリスティックになって来た。と言っても田舎には変わりない。その辺りの民家では洗髪が嫌いなこが泣きながらお母さんにむりやり頭をあらわれている。そして30分後、Choeplingという村のゲストハウスで休憩。最近は二時間歩いた後に休憩をする事が多い。

午前中のジョンはいつにもまして快調だった。先陣を切りスタスタとここまで歩いてきたし、休憩中も紅茶を飲みながら何やら嬉しそうに話している。早く歩きたい気分の時もたまにあるんだよ、今日はパワーがみなぎっていると自慢げに話している。ここのゲストハウスはラーメンやトイレットペーパーがSurkeよりも若干安かったのでトイレットペーパーを買っておいた。

途中のトレイル。

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ガイは既に空腹のためラーメンを注文をしている。
どうやら最近何を食べても直ぐお腹が減るらしく、自分の体はどうなっているんだと言い始めた。
ここまで来るとさらにトレッカーが増え始めた。グループもいるし、欧米人、中国人トレッカーの姿も見かける。
ジリから昨日まで殆どトレッカーを見かけなかったので、若干困惑気味になった。特にポーターを使い、小さなバック一つで歩く体の大きな欧米人を見る度に何かしらの違和感を感じてしまう。

その後フラットなトレイルを進む。やはり地図で見たとおり今日は今までで一番アップダウンが少なく気持ちが楽だ。それでも急ぐ事無く歩き、正午、Pakdinと言う村に到着した。適当に入ったレストランのメニューを見るとダルバードがなんと400ルピー。昨日までは250ルピーだったのでここに来て一気に上がった。ツーリストも増え、確実に先に進むに連れて物価が上がって行くのを目の当たりにすると先行きが不安になる。

今日の昼は折角持って来ていたバーナーと鍋を使い、カップヌードルを作る事にした。先程小さな商店で生卵も買っておいた。店の人はわしがラーメンを作っている姿を見て何かシェルパ語で言っていたが気にせず食べた。
温かい日差しを浴びて食べる昼飯はうまい。三匹の犬が机の下で眠そうにあくびをしている。

ジョンはダルバードを2食食べ終え、犬を撫で始めた。動物や子供がわりかし好きなようだ。
犬を撫でながら、インヘーイル、エクスヘーイルと繰り返し犬に向かって言い続けるジョン。
どうしていきなりヨガになってしまったのかさっぱり分からなかったが、それがジョンの面白い所なのだ。
久しく欧米人の女性を見ていなかったせいか隣に座っている綺麗なフランス人をチラチラと見ていると同じようにジョンもチラチラと見ている。お互いがその事に気づくと声を出して笑ってしまった。

かなりゆっくりし出発は14時。風もあり今日は余り汗をかいていない。
絶好のトレッキング日和でとてもフレッシュな感じだ。
今日の目的地であるモンジョまでは後二時間程。ちなみにSurke からナムチェまでは頑張れば8時間程で歩けるそうだ。ただし標高差があるため高山病に注意する必要があるとの事だった。

この調子で歩こう。五分程の休憩を取りながらモンジョを目指す。歩きやすいせいか今日は会話がいつもより多い事に気付いた。良い事だ。こんな天気の良い日は三人仲良く話しながら歩けば良いのだ。そしてモンジョの手前のカトマンズで取得してきたTIMSという登録証のチェックポイントに到着。知らなかったのだがここで発行も行っており、ガイはここで取得。という事はわざわざカトマンズで取らなくても現地で全て取得可能と言うわけだ。十分程で発行も終わりモンジョへ。モンジョゲストハウスという宿に到着したのは16時過ぎだった。一泊100ルピー、チャージは100ルピー。

TIMSのチェックポイント。

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昼がカップヌードルだったので既に腹が減っていたがせめて六時過ぎまでは我慢。
メニューを見て見るとチキンサンドイッチを発見。

トレッキング開始してからというもの肉を殆ど食べていないため今日はそれを頼む事にした。
話は変わるがトレッキング中に毎日飲む水。カトマンズで一リットルの水は20ルピーで買えるのだが、ここら辺だと150ルピーもしてしまう。パクディンではどう言うわけか80ルピーで売っていたがそれにしても高い。そう言う時は宿でボイルドウォーターを作ってもらいそれを水筒にいれる、そうすると安くなるが料金は宿によってバラバラで50ルピーの所もあれば100ルピー取る所もある。
なので最近は水道水を無料でもらい浄水タブレットをいれて飲む事にしている。
毎日飲む水を毎日買っていてはかなりの出費になってしまう。

空腹に耐えようやく夕食。宿のダイニングはイギリス人グループやアメリカ人カップル、フランス人女性なので賑わっていた。食事を食べながらガイはアメリカ人カップルと話し、ジョンはフランス人女性と、わしはイギリス人グループのガイドと話した。

3ヶ月富山で日本語を学んだ事があるそうで、かなり日本語が堪能だった。
シェルパというのは物凄い真面目なんだと思う、と言うと自ら言うのもなんだけど、、、真面目だと思うと日本語で話してくれた。今後のルートにも相談にのってくれた。この後ナムチェに行ってエベレストベースキャンプとカラパタールに行き、チョラパスを通りゴーキョへ向かいルクラに戻るつもりだと伝えると、先日の雪でチォラパスは現在通行不可になっているというのだ。個人で行った人が二人程いるらしいが、相当な積雪で危険ということだった。そう言うことならチョラパスは諦めざるを得ないなと思い、またルートを考える事になってしまった。

食事を終え20時になると一人また一人と部屋に戻って行く。相変わらず山の夜は早く終わっていくなと思いながらもう少しだけ話した後、わしも後に続いた。ようやく明日、ナムチェと言う大きな村へ向かう。インターネットもできるはずだ。

【3/22の出費】
バナナパンケーキ 250
紅茶 40
卵 20
ミルクティー 60
トイレットペーパー 80
チキンサンドウィッチ 400
紅茶 40
宿 100
トータル 990

【3/23】

夜中に何度か夢で目が覚めた。あまり気分がいい物ではない。
6時15分起床。少し寝袋の中にとどまり自分の体温を感じている。
宿のダイニングに行けば暖かいのだが、部屋は寒い。特に朝晩は少々覚悟がいる程。感覚は日本の冬と同じくらいだ。

朝食をゆっくりと食べた後8時に宿を出発。今日は約三時間のトレッキング。
到着まであっという間だろう。ここからナムチェは遠くないのだ。

宿を出て橋を渡った後にジョルサレと言う村があった。ここには少し値段の安いレストランと商店があった。
まるでここで買っておかないと最後ですよ、と言わんばかりだった。
ダルバードも安く220ルピー、昨日の宿と比べると半額くらいになる。インスタントヌードルも
チョコレートも、どういう訳か安かった。

さて行こうナムチェへ、今日は土曜。ナムチェではサタデーマーケットが開かれている。
マーケットがどんな物かは想像が付かなかったが、午前中のみと聞いていたので少し
急がなければならない。間に合えばいいな、そんな軽い希望を抱き川沿いを軽快に歩く。
最初の1時間は今のところフラットで良い感じだ。

サガルマータ国立公園のチェックポイント。訪れた人の数がボードにしてあった。

blog5DSC_7429.jpg


その後かなり高い所に架けられた橋をわたる。そこからナムチェまではずっと登りだとジョンに言われた。
見上げるだけでうんざりするようなそんな上り坂。これを登り切ればナムチェが待っている。
ナムチェにはインターネットやベイカリーショップなどがあると聞いているので楽しみだった。
日差しを浴びながらナムチェでおいしいコーヒーを飲んでいる姿を想像しながら歩く事にした。

坂を歩き回りを見渡すと今日も荷物を全てポーターに預け、ほぼ手ぶらで軽々と登って行く欧米人がかなり居た。
正直そんな光景を見ていると、わしも荷物がなければ、なんて事を考えてしまう。

登る。一回止まってしまうとしばらく足が動かなくなる。あるいは長い休憩が必要になる気がした。
だからゆっくりと止まらずに歩き続ける。ビューポイントのような所では多くのトレッカーたちが足を休めていた。箸休めならぬ足休め。
もうだめだ。休もう。そこではみかんを売っていたが一つ60ルピーもするので我慢。するとジョンが一つをガイとシェアしなと言ってくれたのだ。久しぶりにビタミンを取った気がする。

後から聞いたのだが天気が良ければここからエベレストが見えるそうな。そんな事は気にせず我々は足を休める事に集中した。その後も下を向いて荷物を背中に置くようにして歩き続ける。風があり気温も高くはないのに汗が出る。この辺りの標高はおよそ3100m。5000m以上はあるだろう山々を見ながらナムチェを目指す。もう少しらしい。

ナムチェ手前で。
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そしてかなり長く思えた長い登りを終え、11時、ナムチェのチェックポイントに到着した。
ここでまたTIMSと許可証を見せる。

するとそこにいたカップルの旦那が声をかけてきた。日本人である事を伝えると、奥さんが驚いた顔で、"日本人なんですか?"と聞いてきた。わしも"えっ?日本人何ですか?"と聞き直してしまった。

かなり日焼けをしたその奥さんはどこからどう見てもシェルパもしくはチベット人に見えた。
トレッキング中も何度か見かけたがまさか日本人だとは思わなかった。そして彼女もワシの事をネパール人ガイドと思っていたらしい。

彼ら二人は夫婦で仕事をやめ、一年程旅行をしているそうだ。そしてこのトレッキングが終わった後、日本の両親を訪ねた後アメリカに帰る予定だと言う。奥さんはまさに外国に住んでいる日本人女性という感じでとても感じがよかった。嫌味など全く彼女の脳には無く、ぎすぎすした感じが全くないような人だった。チェックポイントで立ち話をし、また、と言って先に歩いて行った。そこからナムチェがすぐだと思い安心していたが最後に長く急な階段が待っていた。ここに来てまだ上りが残っていた事はかなり精神的にダメージを受けた。

そしてようやくナムチェのサタデーマーケットが行われている場所に到着。
やっと終わった、そんな感じだった。歩行時間はモンジョから三時間と少し。
三時間と聞いていたので余裕だなんて思ったのが間違いだったのだ。

マーケット。何だかペルー見たいだった。

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土曜の午前だけ開催されるマーケットでは野菜や肉、お菓子などいろんなものが売っていた。
せっかくなので粉末ジュースと卵を購入。明日の朝にスクランブルエッグでも作ろう。
買い物を終え、ジョンが知っているゲストハウスへ向かった。
12時ちょうど、Third Pole Lodgeと言う宿に到着。食事を宿で取れば宿代は無料。チャージはフルにするので300ルピーだった。

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昼食の後、動き回るつもりは無かったがフラフラと歩いている内に村を一望出来る場所に着いた。
そこからはまるで村で何が起こっているのかが手に取るようにわかる、そんな景色が広がっていた。
荷物を運び村に到着する馬のむれ、立ち小便をする僧、続々とやって来るトレッカー。
そして村の背後には六千メートル級の山が聳え立ち、流れ行く雲に隠れてはまたその姿を主張していた。

ナムチェと山。

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ここまで歩いてきたし苦労がようやく報われた、そんな気分にさせてくれた。
そんな壮大な自然の風景と生活感のたる村の風景を眺めながらそこにしばらく座っているとこれから先の事が楽しみになってくる。
今より二千メートル以上高い目的地であるカラバタール。一体どんな景色が広がっているのだろうか。

その後宿の前のカフェで200ルピーもするドーナツと180ルピーするアメリカンコーヒーを飲んだ。
久しぶりのドーナツはうまい。その後久しぶりにインターネットカフェに入った。
ナムチェでは料金がバラバラで、安い所は1時間300ルピー ,高い所で500ルピーだった。
特に気になるニュースも無く1時間のインターネットを終えた後、またフラフラと歩き宿に戻った。
そう、ナムチェにはATMもある。が、手数料は一回当たり500ルピーと高い。
また両替も問題なく出来るのだが、カトマンズに比べレートが悪く、一万円で8000ルピーにしかならない。
ナムチェでは想像以上に物が豊富で驚いた。アウトドア用品も多く、思ったほど高くない。
これくらいなら買いそびれた物があってもここで買う事が出来る。カフェやバーなどもあり高度順応も兼ねて2泊するには申し分なかった。

現在宿にはイスラエル人が三人、オーストラリア人のおじさん、オランダ人がいる。まさに旅らしく全員が持っている情報をダイニングルームで交換する。トレッキングだけに天気や雪の情報がかなり重要でこれから行く人と既に行って来た人の間では真剣にルートの話がされている。そこにいたイスラエル人は一日でゴキョーからレンジョパスを通りナムチェまでやって来たんだと。これはかなり距離もありハードなコースなので、みんな驚いていた。そういう話を聞くのはとても面白いのだ。さて、夕食も終わったので本を読んでねよう。

【3/23の出費】
紅茶 50
リンゴのムスリ 250
エッグカレー 450
卵4つ 80
粉末オレンジジュース 200
チョコドーナツ 200
コーヒ 180
ミルクティー 70
ミートモモ 350
インターネット 300
トータル2130

Day11-15に続く。長くてごめん。。。


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