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美しい旧市街とTragicなアウシュビッツ。 ワルシャワ〜クラクフ

2012年07月21日 07:55

                                 0:45,7/20、ザコパネ、ポーランド


現在ポーランドの自然を求めてザコパネというスロバキア国境の山間の町に来ております。
シーズンのため観光客が沢山!にぎわっている街は良い。

ワルシャワを7/16の朝出発。ホステル近くのバス停から中央駅までは
歩いて30分程で行けるのだが、バスも高くはないのでバスで行く事にした。
バス停でバスを待つ事数分、一人のポーランド人が話しかけて来た。

"そのテントはもう要らないのかい?良かったら譲ってくれ、40ズローチェだろ?"

おぅ〜〜〜!!!
まさかのテント売買成立!いきなりだったのでよくわからなかったけど
どうやらお兄さん、夏なのでキャンプをしたかったらしく、マットに書いておいた

"TENT FOR SALE, 10EUR" を見てくれたらしいw
いや〜声をかけてくれてありがとう。おかげでバックパックが急に軽くなった。
捨てなくてよかった!

無性に気分が良くなり足取りもかなり軽快♪
(今ちなみにドロンズのヒッチハイク見てるため、なんか文章が影響されてる気が。。。)

ワルシャワ駅でクラクフ行きの列車のチケットを購入。56ズローチェ、所要3時間。
座席予約はせず。座れたものの電車はいっぱい。車内販売なんかもある。


クラクフ中央駅に到着後予約していたホステルへ。歩いて10分。
あっ、クラクフ駅前にはいきなり巨大なショッピングモールがあって驚いた。。
日本食レストランもカルフールもKFCもMACもなんでもある。

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本日の宿:BENEDYKTA HOSTEL

1泊7EUR朝食付き、12ベッドドミ。
この旅初のなんと3段ベッド!寝ぼけて落ちたら軽くけがするw
Free Wifi、キッチン(基本的なものはある、調味料などはない)、24Hレセプション、Free MAP。
リビングスペースが広くて、みんなそこに集まってくるのでコミュニケーションを取るのが簡単で
客層も良かった。クラクフで一番安いと思う。日本人も多かったし、メキシコ人やチリ人などもいた。

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クラクフには3泊するのでこの日は特に何もせず、2日目に旧市街をまわって、
3日目にアウシュビッツに行く事にした。スーパーに行きがてら旧市街の様子を少しだけ見ると
なかなかいい感じ!こりゃ明日ゆっくり見よう。


blog2DSC_0004.jpg


翌日、昼前まで寝てランチを作った後クラクフの観光へ。
見所は旧市街とバベル城という所らしく、半日もあればささっと見て回れる。

最初に向かったのがバベル城。
歩いているとどっかで見かけた事のある人を発見。

あっ、おかまちゃんだ!(リトアニアであった香港人のロック)

おい!と声をかけるとびっくりしたのかあたふたし始め、

"あぁ〜〜〜何やってるのよ〜〜!またここで会うなんてうれしいじゃな〜〜〜い!"



どうやらこれからヴィエリチカのソルトマインに居るらしくなにやらお急ぎの様だった。
そしてここでも写真を数枚撮られ、去っていた。。。流石にもう会う事はないかなw

バベル城は無料。敷地内にある塔や教会は有料なので、無料でまわれるところを散歩した。

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バベル城の後は適当に街をジグザギング。Zigzag って英単語って知ってましたか?w 
その名の通りジグザグ動くの意味。


中央市場広場と呼ばれる旧市街の真ん中の広場へ到着。
広場はかなり大きく、教会や土産物が軒を連ねる建物などがあった。

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そこから駅方面に歩きバルバカンへ。

途中で素敵な絵を売っているおじさんを発見。
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バルバカン。
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そしてやっぱり美しいクラクフの街。
落ち着くカフェも見つけてしまったw そういうところが見つかるとなんだか嬉しい。
落ち着くしリズムを良くなる。

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翌日、アウシュビッツへ。

旅行会社で働いていたときアウシュビッツに行ってあまりの悲しさに食欲が無くなった人がいた
(日本語ガイドで説明を受けたそう)などの話を聞いた事があったためどんなものかと思った。
さすがにその歴史の事を少しは知ってから行くべきだと思ったので、ネットで読んでおいた。

アウシュビッツへはクラクフ中央駅横のバスターミナルからOswiecim行きのバスに乗る。
12ズローチェ(300円程)、所要は1時間15分。

バスはアウシュビッツ収容所のすぐそばに停車。チケットオフィスで
チケットを購入。40ズローチェ。ガイドツアーが基本で、英語のツアーは一時間に一回程。
鞄は持ち込めないので2ズローチェ払い預かってもらう事に。ちなみにガイドツアーはアウシュビッツで2時間、
もう一つのビルケナウ収容所で1時間の合計3時間。

アウシュビッツ収容所内部へ。
予想以上に広い。入り口には働けば自由になるとの文字。

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アウシュビッツへはユダヤ人を中心に犯罪者などが収容されていた。
ヨーロッパ全土からここに連れてこられたらしい。1940年からLiberationされた1945年のたった
5年、わしの口からは語れるはずも無い程の悲劇が続いた。

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なので、ガイドさんから聞いた話の中で驚いた事を少しばかり。

- ヨーロッパ全土から連れてこられた人々(多くの人が1週間以上かけて列車で来た)の80%は
労働するまでもなく到着後、シャワーを浴びろと言われて連れてかれた部屋がガス室。
子供や女性、老人は全く役に立たないとされ審査をするまでもなく即刻ガス室送り。
若い男や労働力になる人間は審査を受け、強制労働をさせられた。

The way to death。

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使用されたGas。

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連れてこられた人のスーツケース。

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アウシュビッツには労働者として使用され死んで行った人々の写真が展示されている。
見ていると一人の男性の写真に目が止まった。彼の目とその笑顔。やっぱり見てると
不思議な気分になる。そんな過酷な状況で撮られた写真。1921年11月25日生まれ。
アウシュビッツに1942年1月31日に収容され強制労働をさせられ、同年の3月15日に殺されている。
2ヶ月もたたないうちに殺されている。

blog2DSC_0110.jpg


- ガス室に入れられた後、約20-30分で死に至る。直ぐ死ぬ訳ではない。その数十分の間に
その人々が何を考えていたのかと思うとやっぱり辛かった。裏切られたと気付いたときにはガス室。
しかも多くの人は家族と一緒だったと思う。

- 収容された人は髪の毛を刈られる。そしてその髪の毛の束が展示されていたのを見るのは辛かった。

- 収容前に75kgあった31歳の女性は収容後、25kgまで体重が落ちたそう。

- アウシュビッツが崩壊するまでに脱走を試みた人は800人。そのうちうまく脱出した人の数は144人。

- 施設内では700人もの子供が生まれたらし。でも劣悪な環境のため子供は生きられず46人のみが生き延びた。


ここは銃殺の場所。

blog2DSC_0115.jpg


この貨物に約100人程の人が乗せられ移送されたという。

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ユダヤ人の友達が居るだけにここに居るのは本当に考え深かった。

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世界中の追悼モニュメント。

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アウシュビッツがソ連軍によって解放される約3日前、ナチはガス室を破壊。

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収容された人々の寝床。
暖房も何も無く、冬場は極寒だったらしい。

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劣悪な生活環境。トイレ。1日に2回までしか使えなかったらしい。

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訪れてよかった。でもアウシュビッツ内を歩いていると知らん間に下を向いて考えながら歩いていた。
人間の恐ろしさ。戦争の恐ろしさ。でも将来いつまたこんなことが起こるかわからない。起こらないとは断言できない。


アウシュビッツを訪れた後、クラクフに戻って来たのは夜の8時くらい。
宿で夕食を作っていつも通りビールを飲み、ホステルの人と話をして寝た。
翌日はザコパネというスロヴァキアとポーランドの間にあるタトラ山の麓の街へ。
久々の山!自然!イエス!!
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