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Back to India. 国境〜ゴーラクプル〜デリー

2013年04月25日 00:56

                                     21:24,4/24、ゴア、インド


車窓から目に付く物といえば貧困だった。
国レベルではネパールの方が断然貧しいはずなのに、そこ迄貧しさを目の当たりにすることは無かった。
田舎に行けば貧しいのは分かるのだが、それなりの生活を営んでいた。
が、インドは貧困の種類が全く違い小さな子供がボロボロの服を着て裸足で街を歩いていたりする。
これが至って普通の光景であるのだが、ネパール帰りともなると、やはりそれは避けられないインドの現実なんだなと思ったりもした。田園の風景も二月とは違いすでに収穫がすんだ小麦色の畑が広がっていた。
広いインドのイメージとぴったりの美しい風景だった。ジープは快調に舗装道路を進む。

何やら肩が重いと思うとワシの肩を堂々と使用して寝るハイダラバード出身のインド人。
このインド人の図々しさ。これくらいなら笑い飛ばせる。インド人何なんっほんま。

そして19時前、ようやくゴーラクプル駅前に到着。
ゴーラクプルの町は大きく道には我が物顔の牛達がうろついていた。
デリー行きの列車は22:05発だったのでまだまだ余裕がある。取り敢えず椅子に座り顔を洗うことにした。
やはりインドは疲れる。

食事をするため駅構内のターリー屋でターリーを食べた。
ベジターリーは35ルピーとネパールよりも遥かに安かった。
残念ながらここにいる三人はみなデリーに行くもののバラバラの列車。食事の後すぐにリンダが出発していった。
二時間程チャイを飲んだ後、マルティアと電車を待ち21:30頃六番ホームへと向かった。構内アナウンスによると列車は定刻通りに到着するようだ。

ホームでは、新聞紙や布を引いて子供から大人、女性から男性までたくさんの人が寝転がっている。
思わず何してんねん全員、と言ってしまう。インド人とは一体何人なんだろうかと意味のわからない質問を自分自身にしてしまっていた。

22時05分発予定の列車は 22時30分頃に出発。
チケットを予約する際列車はかなり混んでいる様子だったし、暑さを恐れ今回はAC Two Trier と言う二番目にいいクラスにした。快適そのものだ。まずエアコンがちゃんと聞いていて涼しい。カーテンがついていて外からみえなくできる。枕やシーツもある。が、わしが自分の席に行くと他のインド人が堂々と子供を抱いて、しかもシーツまで敷いて寝て居た。ここはわしの席だというと、一切悪びれる事もなくデスイズユゥアルスィート?と言いながら立ち去って行った。そしてワシはそのインド人が敷いていた中古のシーツに寝転がり、列車の振動に身を任せているうちに、すうっと眠りについてしまった。疲れていたに違いない。


翌日は9時に起きた。
ヒマラヤで朝起きて窓を開けると当たり前のよう青空が広がっていたのに対し、インドではどんよりとした曇り空が広がっている。これでは朝だ~と伸びをする気分にもならない。そんな曇り空を見ながらインドではイライラしようと思えばどんだけでもイライラできる国なのだと思った。そんな風に思える国は今までに一度も無い。

途中に止まった駅でチャイを購入し、ニューデリーに到着するまでの間、何をするわけでもなく横になっていた。
二段ベッドのエアコン車両は相変わらず快適そのものだった。

友人にもうすぐニューデリー駅に到着すると電話しておいた。
この旅の途中、ケープタウンで出会った啓介君とは一年二ヶ月ぶりに会う事になる。
彼は3月末からインドに移住し、貿易関係の会社で働き始めたのだ。

13時前、列車はニューデリー駅プラットホーム13番に到着した。
啓介君にもう一度電話をするとそのプラットホームにいると言うので車両番号を聞きそこへ向かった。
当時は髭があり今は無いと言うのでぱっと見判るか心配だったが一瞬で判った。
しかも身体が柔術のせいかかなりいかつくなっている。何より元気そうだった。
インドで働くというのはまた色々と大変な事が多いのが事実だが、楽しんでいるようだった。

取り敢えず駅を出て彼の住んでいるサービスアパートメントへ向かうため、専属のドライバーを呼び出す啓介君。
そして10分後、スズキの車に乗ったドライバーが到着。啓介君の住んでいる所は車で二十分くらいの所にあった。
デリー市内ではなく近郊の町で新しいマンションが多く立つエリアだった。驚いた事に予想を超えて豪華な住処だった。インドとは思えない様な家具、ホテルの様なロビーにフロント、それに清潔なキッチンまで備えられている。会社の社長がこのサービスアパートメンの人と知り合いで安く借りられているらしい。こんな所にわしも住みたい、真っ先にそう言ってしまう。

blog5DSC_8399.jpg


インドはもっと暑いと思っていたが意外にまだそうでもなかった。
最高気温は39℃なのだが。
部屋に荷物を置き、冷たいビールをご馳走になった。こんないい部屋で冷たいビールを飲んでいると一体どこにいるのか分からなくなる。外を見ると高層マンション、シンガポールにでもいる気分だ。

ビールを飲み終わりアパート周辺をぶらつくことにした。ドアマンがドアを開けてくれる。凄い所だ。
周辺にはスーパーやピザハット、旅行代理店にSONYショップなど様々な物があり生活には困る事の無いエリアだった。昼を食べていなかったので小さなピザとアイスクリームを食べスーパーを覗いて帰った。
特に出歩く気分でもなくアパートで酒を飲みながら話をしている方が楽しかった。

気付くと20時になっていたので近くのフードコートの様な所でチキンカレーを食べた。
ここにはもちろんツーリストはおらず地元のインド人ばかり。この辺りはお金持ちが多いのだろう。みんなこ綺麗な格好をしている様に見える。チキンカレーを美味しく頂き、アパートでワインを開けてもらった。冷たいインド産白ワインを飲むのは初めてだったが、結構うまかった。ワインを飲みながらアニマルプラネットや写真を見ながや寛いでいると23時半頃急に眠気が襲ってきた。山で酒を飲んでいなかったためか、完全酒に弱くなってしまっている。シャワーは明日の朝使わせてもらう事にし、今日は寝かせてもらう事にした。たくさん話をしたせいか今日もまた横になるとすぐ寝てしまっていた。


4/15、高層マンションが立ち並ぶ外の風景を見ると、自分がインドにいると言う事を忘れてしまう。
ここはサービスアパートメントのため朝食が毎日ついているらしい。そう言うわけで朝食会場に行ってみるとホテルの朝食会場のようだった。友人は毎朝ここで優雅に朝食を食べ、迎えに来る車に乗り出勤すると言う。何と素晴らしい生活。

今日は月曜日。啓介くんは仕事のはずなのだが、上司にワシがくると伝えた所、友達が来るのには働いていてはいかん、と言われ休みになったそうな。インド人はそういった友人や家族などの行事に対してかなり寛容で休みが簡単に取れるんだそう。日本よりも欧米的なのかもしれない。
昼過ぎくらいまで寛いだ後、デリーに来たもう一つの目的、ポリスレポート取りに行く事にした。
約二ヶ月前にクンプメーラと言うサドゥの祭典で壊れたレンズの代金を少しでもカバーして貰いたかった。
警察の場所がイマイチわからなかったので日本大使館に問い合わせてみると、無愛想にその事件が起こった場所の管轄で無いとそう言った物は発行していませんので、と言った。大都市の日本大使館員はやはりどこも無愛想何だろうか。

啓介君の家から1番近いVaishaliと言う名のメトロの駅に行きそこからコンノートプレイスへ向かった。
コンノートプレイスのある駅までは約20分。デリーの地下鉄は異様に安い。
腹ごしらえにKFCでフライドチキンを食べ、コンノートプレイスの警察署探しが始まった。
デリーを普通に歩いていて警察署をみた記憶が無い。警察官に聞けば判るだろうと暑い日差しの中警備をしている警察官をまず探す。一人の警官を発見し、場所を聞いてみると

"何で警察署にいかなければならないのだ?んっ?"と、聞かれたので、

”ニューデリー駅でインド人と小競り合いになりカメラを地面に落とされレンズが壊れたのでポリスレポートが必要なんだ”、と説明すると

”ニューデリー駅のどっち側だ?”と更に細かい場所を聞いて来た。

”パハールガンジ側だよ"、と答えると、

"ならパハールガンジの警察署に行きなさい、コンノートプレイスの警察署に言っても誰もやってくれない”、と日本大使館の無愛想な職員と同じ事を言った。レポートは事件が起こった場所を管轄している所でなければならないのだ。
ニューデリー駅のメトロ駅から数分歩いた所に警察署があり、中にいた受付の人にレポートが欲しいので来たというと別室に案内された。しばらく待っていると一人の警官が事情を確認。紙に手書きで起こった事を書く。
インド在住の啓介君がいるお陰で何だか警察も穏やかな口調で世間話をしてくれている様に見えた。
おまけにチャイまでご馳走になり、パソコンで打ち込まれたポリスレポートを無事に受領。
時間は一時間半程かかったが、その対応は想像以上にフレンドリーで丁寧だった。もちろん無料。

"ありがとうございます"、と言って立ち去ろうとすると、
"とんでもない、これが私たちの仕事だ"、とインド人とは思えない発言を聞けたのだった。

念願のポリスレポートも手にいれ心はすっきり。
ずっとやる事リストに置き去りになっていたポリスレポートがようやく消去できる。さて、これでデリーでの目的が達成された。
その後は啓介君の部屋に戻りエアコンの効いた快適な部屋で酒を飲み旅の話やくだらない話をして過ごした。
旅仲間との再会はやはりいい物だ。気付くと二時頃まで話をしていた。

翌日啓介君は仕事だったのでパハールガンジに移る事にした。
朝の九時半、専用のドライバーに出迎えられ出勤するのを見送り地下鉄でパハールガンジへと向かう。
デリーにはもう用事はないと思っていたがちょうどブダペストの日本人宿アンダンテで出会った旅人が今日の朝デリーに到着すると聞いていたので彼女にも会う事になった。再会が続くのはなんだか不思議だった。ニューデリー駅につき集合場所としていた宿に向かった。

本日の宿:サンタナ
プリーで有名な日本人宿。一泊ドミが300,Sgl 300。WiFiはフリー。日本人常駐。
至って健全な宿だった。日本食も食べられる。

blog5DSC_8406.jpg


宿に到着したのは一時過ぎ。
到着後ベッドの上でごろついていると昼寝をしてしまった。
16時頃起きてドミトリーを見に行くとエリカ氏もまた昼寝をしていたので起こす。
八ヶ月ぶりに再会したが、彼女もまた全く変わらず元気そうだった。
昼を食べていなかったので何か食べに外に出た。宿ではプリーのスタッフが出張で来ており、彼の作った料理が食べられると言うのでオクラ丼を夕食に注文しておいた。

46日ぶりにパハールガンジを歩く。
また来てしまったなと思いながら何を食べようか考えながら歩いていたが無性に
今すぐオクラ丼が食べたくなったので先日何度も行ったNavrangと言うレストランへ向かった。

先ほど夜のオクラ丼を宿で注文していたが、昼もオクラ丼を食べる事にした。
暑い時はさらっと食べられるオクラ丼がぴったりだった。相変わらずうまいのだ。
レストランには見慣れた親子がじゃれあっていた。本当にインド人の子供は愛くるしい。

blog5DSC_8411.jpg

オクラ丼を食べ、パハールガンジをぶらつきチャイを飲みまたオクラ丼を食べる。
宿に泊まっていた数人もみなオクラ丼を注文していたため食堂にはオクラ丼が10人前ほど並ぶと言う奇妙な光景にお目に書かれた。久しぶりに大勢の日本人で夕食を取るのは楽しいものだった。みな色んな県から来ている。

ここなら何泊かしてもいいなと思ったが既に4/17の朝4時25分発の列車を予約していたので残念ながら直ぐに出発しなければならなかった。今日は昼寝もしたので寝ずに駅へと向かう。しかもニューデリーではなくオールドデリーのためタクシーを使わなくてはならなかったため、無駄な出費をしてしまった。3時に宿を出て、オールドデリー駅に向かった。列車は4時頃ほぼ定刻に到着し、ほぼ定刻に出発した。アジメール行の列車は時間帯も早いせいか乗客が余りおらずとても静かだった。言うまでも無く寝台のベッドに寝転がると直ぐに眠りについた。

一路アジメール経由プリーへ。
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