--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

さてさてプノンペンへ。治安はいかがな物でしょうか。 シハヌークビル〜プノンペン

2014年02月17日 00:26

                                    03:27, 2/16、シンガポール


シハヌークビルを午後1時に出発したマイクロバスはプノンペン中心部に18時に到着。
地図を見ながら自分の位置を確認していると、どうやら予約していた宿の直ぐそばを先ほどとおり過ぎて
しまっていた。まぁいいかと思いバスが止まるまで待った。

バスはバス会社の前で到着。
すると頼んでおいた宿の無料送迎のおじさんがわしの名前のボードを持って待っていてくれた。
無料送迎はその日こんでいて利用出来ないかもしれないと聞いていたのでラッキーだった。
しかし街はごちゃごちゃしている。期待通りだった。そういえば、タンザニアのダルエスサラームに
到着したときもバスから見える景色に、どことなく東南アジアを感じたのを思いだした。あの時
見えた景色と、このプノンペンの景色はどことなく似ている。

blog5DSC_4217.jpg


本日の宿:Nomads Hostel

Hostel bookersで予約しておいた。6ベッドドミが1泊6ドル。
エアコンあり。タオル、Free wifiあり。タウンハウスを改造した比較的綺麗な宿で
他の旅行者とも交流しやすい作りだった。オーナーは欧米人とカンボジア人の夫婦。
ただ、10ドル札と予備バッテリーとイアホンをベッドの上に置いたまま少し外に出た際、
それらが消えていた。。。my faultですが、、。

blog5DSC_4197.jpg


プノンペンには3泊。その後インドネシアのロンボク島へ向かう。
今まで行ったシェムリアップ、シハヌークビル、ロン島はどこもホリデー感が強すぎて
もっとごちゃごちゃした生活感の溢れる所に行きたかったというのもあり、プノンペンは面白かった。
観光地にいはあまり興味が無く、キリングフィールドや博物館も過去に行っていたので今回は
町歩きと飲み歩きをしただけだった。

過去の記憶を呼び起こそうとする物の、覚えている事と言えばCAPITOLという安宿に泊まった事と、
その宿で寝ている間に銃声らしき音が聞こえた事、セントラルマーケットに宿から歩いて行った事、
キリングフィールドにバイタクで行き、シューティングレインジでライフルを3発程売った事だけだった。
やんわりと当時のセントラルマーケットの風景を覚えているが、それはそれは汚く、臭く、まさに
アジアの市場と言う感じだった。が、現在のセントラルマーケットは完全に生まれ変わり、当時の面影は
全くない。見事にマーケットになっていた。

セントラルマーケット

blog5DSC_4199.jpg

プノンペンは危ない。
未だにそういう声を聞いていたので少々用心していた。
強盗やひったくりも頻繁に発生し、日本人もかなりの被害にあっていると言うので
他の街に比べ、何か殺伐とした雰囲気がまだ残っているのを想像していた。
が、行ってみるとそんな雰囲気は殆ど感じられなかった。街は発展すればする程車の量が増え、
バイクの量が減って行くのは何処の国でも同じだが、プノンペンはまだまだバイクの量が車よりも
遥かに多い。バイク事故も目の前で起こっていたし、事故りそうな現場も2度見てしまった。
治安と言うよりは事故に気をつけた方がいいかもしれない。そのせいか
タイと言うよりは、ベトナムに似ていると思った。

街を歩いているとプノンペンとは思えないような中国企業が投資して立てたであろう
商業ビルも建っていた。川沿いのエリアも綺麗に整備されており、多くの観光客が
昼夜問わず歩きまわっている。水商売の女性らも多く飲み屋の前で客待ちをしている。
もちろん普通のバーやレストランも数多いし、ゲストハウスだって川沿いのエリア、172st周辺に
多く会った。これだけの人が夜も出歩けるような街になったんだな、と関心した。

川沿い

blog5DSC_4205.jpg


それでも突如道端に現れる魚行商人の市場や氷売り、すれ違うと笑ってくれる子供や地元民。
バンコクなんかよりもよっぽど東南アジアらしさを感じられる場所だった。それは
まだこの国は貧しいからだろう。バンコクも以前はこのような感覚になる事が多かったが、
今ではほとんどない。もちろんタイの地方都市に行けば多少あるが、国が豊かになり、
人々の収入が増え、街が少しずつ綺麗になりインフラが整備され、物価が少しずつ上がって行けば、
人々の生活は確実に変わるし、若者達がお金を持つようになり、彼らの価値観は以前の人々と大きく変わる。
そうやってまだ今プノンペンで感じられるような東南アジアらしさが無くなって行くのだろうなと思った。
簡単に言えばそれが発展であり変化なのであろう。。。

氷売り

blog5DSC_4200.jpg

まちのおやじたち

blog5DSC_4214.jpg


プノンペンに来てよかったと思った。
懐かしい東南アジアの感覚を少しでも感じられたし、変化のまっただ中にある街だと言う事も感じられた。
日本人も現在は多く、日本人のための生活基盤もかなり作られているように感じた。
AEON MALLも建設予定らしい。カンボジアの発展と海外企業の進出がどのタイミングで目で見てわかる程急進するのか。

屋台も沢山あり、好物の麺の屋台も沢山会った。
カンボジアの麺は予想以上に美味しかった。それに麺の種類も多いので毎日食べられる。

もやし状の麺をいためたもの。

blog5DSC_4203.jpg


プノンペンでは基本的に麺類しか食べなかった。
一回の食事で2杯食べる事もあった。観光に行く事に興味が無かったので
とにかく食べるか飲むかしていなかった。もしくは川沿いに出かけてそこいらのバーでビールを
飲見ながら本を読んでいた。wifiも基本的にどのお店でもある。

毎日4杯アンコールビール

blog5DSC_4237.jpg


唯一行った観光地と言えばワットプノン。
プノンペンがここから始まったと何かで見たので、そこだけ行ってみる事にした。
といっても普通のお寺。お寺に来て思ったが、カンボジアも仏教国。
寺院内ではカンボジア伝統音楽の演奏もしており、少しだけ観光気分になった。

blog5DSC_4253.jpg


まだまだ貧しいカンボジア。
自国通貨も弱いため結局何処でも米ドルだった。これから先、うまく発展して行くのだろうか。
物乞いの数はタイに比べれば遥かに多い。素朴で優しいカンボジア人。今度はホリデーで来よう。
そして田舎に行こう。

blog5DSC_4263.jpg

シンガポールへ行ってきます。

続く

では、友人に会うためシンガポールへ行ってきます。

続く

やって来ました11年ぶりのカンボジア。

2014年02月16日 10:51

                           13:04,2/11、シハヌークビル、カンボジア

さて、バンコクに戻ってからバンコクに5泊。
これと言って何をする訳でもなかったが、バンコクにいる友人と日々飯を食ったり飲んだりしていた。
今回は半年前に泊まったHi Sukhunvit hostelに4泊(350バーツ、ドミ)し、それからカオサン(NAT2)
に一泊した。何を言う事も無いごく普通の日々をバンコクで過ごす。といってもバンコク在住者しかしらないような
超ローカルのバーやクラブなどに連れて行ってもらった。何度もタイには来ているけど、あんなに
ローカル臭漂う場所は初めてだった。

バンコクに5日いたのはオーストラリアで仲良くなった友達を待っていたというのも会ったのだが、
彼はインフルエンザに苦しみキャンセル。楽しみにしていたが仕方ない。

友人も来なくなったので早速その翌日、バンコクにいるとお金の減りが異常だったのでカンボジアへ向かうことにした。
チケットはカオサンのお寺側のエージェントでイスラエル人経営の店が一番安かったのでそこでチケットを購入。
バンコクからシェムリアップまで200バーツ。Amazing World Travelという会社が運行している。
確か10年前は120バーツだったのを覚えている。

2/3、7:30ピックアップだったのでエージェントへ向かった。
が、ピックアップは待てども待てども来ず。結局1時間も待たされた。
ようやく来たマイクロバスには系4人の旅行者のみ。通常必ず満員なのにおかしいなと思ったが
気にせず3席使って爆睡してやった。

バスが安いのは国境手前でレストランに立ち寄り、そこでビザ申請の代行をするというためだった。
通りで。バスの中であったイギリス人に既にその事を言われていたので、どうしようか迷ったが、
もう面倒だったのでそのままそこに頼んだ。1200バーツ取られる。ちなみに国境だと20ドルなので
約10ドルも多く取られた事になる。わしのバックパッカー根性は一体何処へ行ってしまったのだろう。
イギリス人はと言うと、”俺は全部自分でやるから、また国境でな"、と行きそのレストランを立ち去って行った。
国境まではちゃんとここまで乗せて来たバスが乗せて行ってくれるようなので、別に安いからと言って
強制的にビザ代行を使わなくてもよい。わしもそう聞いたら、自分で言っても良いよと言われた。
イギリス人とはこの後会う事は無かった。

自分でビザを取るとかなり待たされるからビザ代行を使った方が早いよ、と言われていたが
なんだかんだで色々待たされ、結局自分でやっても変わらないんじゃないかと言う程遅くなった。

国境を越えて11年ぶりのカンボジアに入国。

blog5DSC_3927.jpg


国境近くは大きなカジノ併設のホテルが何軒もある。
もはや記憶さえ無いが、11年前はもっとボロボロのトタン屋根の家がずらーっと立ち並び
汚いマーケットのような物があったのをかすかに覚えている。

国境を越えるとやはり不思議な気分にはまだなる。
すぐそこはタイなのに、国境を越えると言葉も違うし、タイと比べて人の表情も違う。
まだ貧しさがタイに比べて表面化していて、はっきりとわかる。

そこからバスに乗り、ポイペトのバスターミナルに連れていかれ、そこでまた車を乗り換えると言う。
よくわからなかったがそのバス停で降り、そこで10分程待機。バスの中で同行していたカンボジア人の
男がカンボジアについて軽く説明。
"ATMはありますが、カードが出てこないトラブルが多いです。
物を買うときもドルだと高くつくのでリエルに両替しておく事をお勧めします"、と説明した。

親切なガイドだな、と思ったが結局これもそのバスターミナルで両替させるための誘導だった。
バスターミナルには政府公認とかいう両替商があるのだが、後々シェムリアップでのレートと比べるとだいぶ悪かった。
1ドルで3800リエル。街は何処も1ドル4000リエル。そもそもリエルに両替する必要もなく、カンボジア全土で
米ドルが使えた。結局リエルに両替する必要は無かった。

シェムリアップについたのは20時頃。
国境からの道は聞いていた通り全て舗装されていた。かつてのぼこぼこ道を揺れに揺れながら走った
のが嘘みたいだ。シェムリアップしないに入ると巨大リゾートホテルが立ち並んでいた。
こんなに多くの巨大ホテルが本当に必要なのだろうか、そう思わざるを得なかった。

バスで一緒だったドイツ人のサイモンと気が合い、わしが行こうとしていた日本人宿に
一緒に行く事になった。バスを降りて、トゥクトゥクを拾った。

本日の宿:YAMATO GUEST HOUSE
ドミトリーが2ドルと聞いたので来てみた。
サイモンと部屋をシェアする事になりツインルームで3泊。1部屋8ドル。
シャワートイレやタオルやら水やら、一人4ドルしか払っていない割にはお得な感じだった。
wifiも電波は悪いがあるし、スタッフの多くが日本語を話す。レストランでは2ドルでそばや
かつどんが食べらる。結局毎日そこで食べた。あっ、カンボジア産の納豆は75セント、粘り気は
無いがうまかった。ざるそばとビールと一緒に。

blog5DSC_3928.jpg


アンコールワットには行くかどうか迷った。
11年前に行っていたし、観光客で混雑しているのが気になった、、、が、結局行ったw

シェムリアップでの3日間はほぼサイモンと街を歩いたり、飯を食ったり、アンコールワットに
行ったりして全く退屈しなかった。出会いと言うのは自分から話しかけなければ生まれない訳でもない。
何となく、仲良くなることが良くあるからそういうときは楽しい。
一人では何をしていてもやはりつまらん今日この頃だ。

シェムリアップの街はもはやカオサン以上。後日地球の歩き方があったので見てみたが
シェムリアップの地図が凄くて驚いた。。。ちなみに英語ではSiem Reap、シェムリープと発音する人が多い。
中心部にはPUBストリートと呼ばれる通りにはPUBがひしめき合い、おかまのたちんぼが声をかけて来たり
子供が物乞いをして来たり、バイクタクシーの運ちゃんが何度断っても声をかけてくる。
何処も彼処も変わってしまっているなと思っていたが、幸いオールドマーケットは10年前の面影を
残しているような気がした。

blog5DSC_3952.jpg


サイモンはマーケットの売り子と会話を楽しんでいた。
ピーナッツの値段ばかり聞くのは何故だ?

blog5DSC_3937.jpg


ちなみにサイモンはかなり良く寝るドイツ人で、アンコールワットに行くために8時に起きようと
言い出したのにも関わらず、結局起きたのは11時。わしが良くやる行動パターンだったため、
わしも負けずに11時まで寝た。そして起きてすぐに筋トレを始め、Do you wanna join me?と聞いてくる。
朝飯ももう宿の下の日本食でいいか?と聞くと、いつもオッケーだよ、と言うので楽だった。

アンコールワットへは当初自転車で行こうと言っていたのだが、それも結局、
"トゥクトゥクでいいんじゃね?"となり、
10ドルでアンコールワットとタプロム、バイヨンなどをまわってもらった。
トゥクトゥクに乗りながら、自転車でアンコールワットに向かう旅行者を追い越す際、毎度
嬉しそうにこちらを見てくるサイモン。"we made a right choice( : "と誇らしげに言っていた。
それにしてもアンコールワットには凄まじい数の中国人で埋め尽くされていた。
暑さのせいかトゥクトゥクで観光したのにも関わらず疲れてしまった。
サイモンとはたった3日一緒にいただけだったが、気を使わせないいい奴だった。

アンコールワット、バイヨン

blog5DSC_3995.jpg

アンコールワット

blog5DSC_4057.jpg


シェムリアップには結局4泊。わしの移動前日にサイモンはバンコクへと戻って行った。
彼はこの後、高雄にある大学で経済の勉強を6ヶ月するらしく、日本にも来ると言っていたのでまた会うだろう。

次はシェムリアップを19:30に出発するバスに乗り、今度はシハヌークビルへ向かう。
シェムリアップ~シハヌークビル 夜行バス16ドル。一日夜行が4便あった。
バスは大型バスで席ではなく、フラットシートの様になっていた。中国を思い出す。

快適に眠れると期待していたが、隣のおっさん速攻鼾をかき始める。変な期待はする物ではない。
6時半にはシハヌークビルにつくと聞いていたが、出発の遅れや途中のバス故障などのせいで
到着したのは11時だった。可能な限りひたすら寝た。

本来ここからそのまま目的地であるロン島へ行こうと思ったが、夜行バスの後だったので
取りあえず1泊し、翌日行く事にした。と言う訳で宿探し。どうやらハイシーズンで安い宿は一杯。
一泊2ドルのドミトリーを見せてもらったが、さすが2ドル。まるで富士山の山小屋状態。欧米人特有の
匂い。わしも歳を取ったもんだ。うじゃうじゃと起きたての欧米人がいるそのドミトリーを見て他を探す事にした。
結局見つけたのが9ドルの個室。

本日の宿:Suvanapun Guest house
1泊9ドル。トイレシャワー付き、何故か歯ブラシも。
Free wifi、タオルあり。進める理由も無い。至って普通の宿。

blog5DSC_4087.jpg


シハヌークビルについてはよくわからないが、そのエリアはオーチティルビーチというビーチが
あるエリアだった。せっかくなのでふらふらと歩いてみたが、カンボジアに来て思ったのは
カンボジアの主要都市はほぼホリデー向けの街だと言う事だった。泥臭い旅人が旅をする雰囲気は
こういった都市部にはあまりないのかもしれないと思ったが、それはただの情報不足なんだろうか。
むしろタイの中都市に行った方がよっぽど地元を感じられるなと思った。仕事に疲れ、休暇で来るには
カンボジアは最高かもしれない。物価も安いし、旅もし易い。人々もタイに比べればすれてない。
そんな事を言うわしは完全に旅に疲れている。そう思って仕方がない。

シハヌークビルにもいくつかの日本食屋があった。
ハッピーピザを置く店もある。海はあまり綺麗ではないが欧米人はビーチで寝転がりながらホリデーを満喫している。
まぁ、それなりの街であった。

シハヌークビルのビーチ沿いにはバーが立ち並んでいた。

blog5DSC_4090.jpg


翌日目的地であるロン島に向かった。

シハヌークビル~Koh Rong(ロン島)
スピードボート15ドル(8:30,14:30発、45分)スローボートは10ドル、所要2時間。

行きはスピードボートに乗る事にした。
チケットは街のエージェントで購入可能。船で45分。あっという間に島に到着。

ロン島はカオサンで会ったドイツ人に勧められて来たのだが、
降り立ってみると、意外にも多くのバンガローやゲストハウスがあった。
とりあえずそのドイツ人に勧められたMr. Hainsという人の宿に行って見たが、あいにく
二人部屋しか空いておらず、別の宿にした。Dream catch innというゲストハウスの裏にある
小さな宿だったが、ここでも1泊15ドルした。とにかく今はシーズンのため、安い所やドミは
殆ど埋まっていた。

殆どのゲストハウスやバンガローが欧米人によって管理されていた。
現金を扱う仕事なども同じように欧米人がしている。島には何とも言えない雰囲気が流れていた。
特に夜はノスタルジック。白熱電灯の明かりが何とも言えない。
砂の道を裸足で走り回るカンボジアの子供達や、酒を飲みながら
楽しそうに話すカンボジア人の男達。ラーメンをすすりながらぼーっとしているヒッピー風の欧米人や
完全に決まってしまっている欧米人カップルなどを見かける。予想以上にツーリストは多かったが、それでも
地元のカンボジア人も多くいたし、欧米人が観光基盤を整える事でその島を裕福にしているのだな、と思える島だった。
それが良いのか悪いのかは知らない。美しい島をお金に換えるため要領のわかっている欧米人と協力しているように見えた。


島の物価はヌードルスープが1ドル、フライドライスが2ドル、ゲストハウスはドミトリーが6~7ドル、
貸しテントが5ドル、安いプライベートルームが15ドル程。ビールは1ドル、シーフードバーベキューは
4ドル程度だった。それにしても宿が少し高すぎた。
インターネットはどのレストランでも殆どあった。銀行やATMは無いので現金が必ず必要。
島内はバイクも走っていない。電気はソーラーだったが、基本夜通し使えた。停電はしばしば。

何だか秘密基地作りから始まったようなこの島の夜。
話し相手さえいれば何日でも居たいような島だった。

ロン島の昼

blog5DSC_4104.jpg


blog5DSC_4151.jpg

blog5DSC_4131.jpg

blog5DSC_4118.jpg

blog5DSC_4116.jpg


ロン島の夜

blog5DSC_4187.jpg

blog5DSC_4192.jpg

blog5DSC_4180.jpg


結局2泊だけし、シハヌークビルに戻った。
米ドルが少なくなって来たので今回は出来るだけ安い所に泊まりたかった。
少し探してみると、The Led Zephyrという所のドミが4ドルだったのでそこに泊まる事にした。
前の2ドルのドミに比べれば遥かに綺麗だった。

blog5DSC_4196.jpg


そして一日何をする訳でもなく、シハヌークビルでビールを飲んで明日になるのを待った。
そして翌日、マイクロバスでプノンペンへと向かった。(10ドル、車内でWifi使える、4時間)

続く

バンコクから1週間の小旅行。カオラック〜パヤム島(行くべし!)

2014年02月06日 18:57

                                  19:13,1/24、カオラック、タイ


さて、オーストラリアを旅立ってからはや2週間。
わしは今プーケットの北100kmに位置するヨーロピアンで賑わうカオラックという町に来ております。

1/10にバンコクに到着し、とりあえずカオサンに一泊して、翌日から来る予定だったおとんを
迎えに空港へ向かった。とまぁ、この旅3度目のタイ。ちょうど一年前もタイでおとんと会った。
今回はおとんとその友人らでゴルフをすると言うので、わしもお付き合いさせて頂く事に。

結果、2日連続のゴルフ。
タイなので別に何を気にする事もなく出来るので楽しい。
むしろゴルフよりも、キャディと話してタイ語の練習をするのが楽しかった。

おとんはたった3泊で日本へ帰って行ったが、一緒に来ていた友達が愉快な大人で面白かった。
20代も30代も60代も、友達とわいわいするときは同じなんだなと思えたことは嬉しいもんだった。

バンコクには結局10日程滞在。写真は撮っていない。
特に何をする訳でもなかったが、バンコクに住んでいる友達に会ったり、
エジプトで会った旅中の日本人夫妻に会ったり、旧友のデンマーク人に会ったりして寂しさを紛らわしていた。

半タクシン派が主要道路を埋め尽くすバンコクを結構歩いたが、それほど危険を感じる事も
無かったし、電車は通常通り動いていたので問題なく行動できた。

あっ、そういえばインドに行く可能性があるのでインドビザも申請した。
ちょうど一年前も申請したので余裕だなと思っていたが、ビザセンターの場所が行ったら変わっていた。
書類を調べてみると一年前には持って行かなかった航空券が必要という情報を発見。
わしはまだブッキングもしてなかったのでとりあえず無しで行って見た。申請は出来たが、
カウンターで、"航空券がないのね?大使館次第ではビザが降りない事もあるからね"、と言われてしまった。
少し不安の残る申請でございやした。

必要書類
- 2x2の写真2枚
- オンラインで記入した申請書
- インドのホテルのブッキングコンファメーション
- フライトチケット
プラスビザセンターで、いくつかの書類を書かされる。それと
タイ入国スタンプのページのコピーを2枚取らされる。コピーもパソコンもビザセンターに
あるので、無いものはそこで出来る。ちなみにフライトチケットが無かったわしは、
手書きで何故チケットが無いかを説明したレターを書かされた。

追記:7日で無事取れました。

そしてバンコクを1/20に出発。
ビザが降りるまでの間、今いるカオラックに来たのでした。
昔から何故か来てみたかったけど、何故か来たこの無かったカオラック。
ビザが1週間程かかるのでちょうど良い期間。

想像ではカオラックはビーチ沿いの村、と思っていたが全く違った。
カオラックの真ん中に幹線道路が走り、両サイドに店が連なる一見退屈そうな所だった。
まぁそれでも初めての場所。とりあえず宿を探す事にした。

ハイシーズンにも関わらず、宿が多いせいか空室は沢山あった。
でも安い所があまり無く、結局ドミトリーへ。

本日の宿:Seaweed Hostel
1泊3ベッドドミが250バーツ。ドミトリーは広く
タオルやブランケットもある。Free wifi、水も毎日1本くれる。
従業員はミャンマー人が殆ど。ボスだけタイ人。

blog5DSC_3518.jpg


カオラックではミャンマー人が多く、タイ人がやらなくなった仕事を
現在はミャンマー人がやっているらしい。例えばルームキーピングとか。
相も変わらずミャンマー人は顔にタナカと言う塗り物をしている。

ホステルは悪くなさそうなので、とりあえず3泊してみる事にした。

ホステルにあるカフェでコーヒーを飲んでいると、"ここ座っていい?と
欧米人のファミリーが声をかけて来た。"どうぞ"、と言うと二人の子供達が駆け寄って来た。
話してみるとスイスのチューリッヒから来ているそうで、小一時間程一緒に過ごした。
こうやって1対家族で話すのは久しぶりだな、しかもホステルで。
すると6歳の女の子ネラがお母さんにひそひそ話をしてはこちらにちらっと視線を送ってくる。
何とも子供らしからぬ仕草。。w 

お母さんが通訳すると、これから一緒に泳ぎに行くならこの人も一緒に連れてって。と言う事だった。
子供にモテたw と言う訳で、一緒に泳ぎに行く事になった。行き先のビーチはタイ語でHAT LEK。
ナショナルパーク内にある小さなビーチで、カオラック中心部からタクシーで150バーツ。

ほぼ丸一日そのビーチで過ごした。泳いだり、砂で町を作ったり、泥を塗り合ったり
久しぶりに子供たちと遊んだ。小さな売店でご飯も食べれたが、子供達も何も食べずに遊び回っていたので
特に何も食べずにいた。

ネラ。

blog5DSC_3538.jpg


流石に腹も減って来たので15時過ぎ頃ホステルに戻る事になった。
帰りは1時間程ナチュラルトレイルを歩いて帰った。遊んだ後でもこうやって自然を感じられる
トレイルを歩いて行くと言うのも欧米的だなと思った。子供達も文句も言わずすいすい歩いて行く。
途中ネラが突然泣き出した。どうやら蛇がいたと言うのだ。噛まれた訳でもなく多分それは見間違えだったのだろうが
一瞬にして泣き出したのをみて、何だか笑ってしまった。

ナチュラルトレイル。

blog5DSC_3548.jpg


こうしてスイスのファミリーと過ごしていると、いかに子供達を自由奔放に育てているかを感じた。
子供たちは自由に遊び回る。いちいち細かい事を言わない両親。
日本の育て方とはやはり全く違うなと思った。

その後のカオラックはのんびりと過ごした。
スイスファミリーとは2回夕食を共にし、子供達が寝静まった後、大人達でビールを飲んだりした。
それ以外は小さな町の土産物屋を見て歩いたり、ビーチを歩いたりして時間を潰した。
嬉しい事にそのスイスファミリーの子供達がわしを見つけると駆け寄って来て、
スイスジャーマンで何かを言っていた。お母さんに聞いてみると、この子達、アナタに手紙を書いたんですてって、
と笑いながら言っている。息子のリノスから一行だけの手紙を渡された。手作りだろうかリノスが作った
だろう封筒に包まれていた。手紙にはYusuke,良い旅をとスイスジャーマンで書かれていた。良い日だな。


カオラックのビーチ。

blog5DSC_3553.jpg


子供からの手紙。

blog5DSC_3564.jpg


4日目にタチャイという島に行ってみる事にした。
もともとアンダマン海にあるシミラン諸島に行こうと思っていたが、何やらツーリストが多すぎて
静かな方が良いのであればタチャイはどうか、と宿に併設された代理店が勧めてくれた。感じのいいタイ人だったので
その人に従い、シミラン諸島は止め、タチャイ島に行ってみる事にした。

タチャイへのツアーは2200バーツだった。
結構高いなと思いながら、もう来る事は無いだろうと思うと行きたくなってしまう。
ツアー代金には往復のスピードボートとランチなどが含まれていると言う。
スタッフは皆感じの良い人々よ、といってそのツアー運営会社のパンフレットをくれた。
パンフレットにはFANTASTIC TOURと書いてあった。

そして4日目、7時半に宿の前でピックアップが来るのを待っていた。
するとほぼ丁度の時刻にレディーボーイらしきスタッフが"タチャイアイラン?カム!"といって迎えに来た。
そこからいくつかのホテルで他の客をピックアップし、小さな漁港らしき所に到着。
すでにタチャイやシミラン諸島へ行くツアー客が百人程そこに待機していた。

そこで無料のトーストとコーヒーを頂いた。
ツアー感たっぷりだが、何とも気の利いた感じのツアーの始まりだった。
しかし何だかスタッフの声が耳につく。そう思いスタッフ一人一人の顔を見て行くと、
全員がオカマだった。。。そういう事か。通りで昨日の代理店のスタッフが、"感じのいいスタッフよ!”と
行っていた訳だ。別にオカマが悪いと言っている訳ではなく、その通り感じのいいスタッフばかりだった。
そして彼ら、いや彼女らの説明の仕方や手の仕草を見ていると、笑いを隠しきれなかった。

出発。

blog5DSC_3566.jpg


タチャイ島まではスピードボートで一時間半。
揺れるときはかなり揺れ、水しぶきも凄いらしい。
この日は比較的海が穏やかで大した事は無かったが、ボート後方に座っていたドイツ人は
たっぷりと水しぶきを浴びていた。船頭さんの直ぐ後ろに座っていたわしは特に水がかかる事もなく
音楽を聴きながら1時間半過ごした。めずらしくタイ人グループもいたが、そこの一人は
早々と船酔いに倒れ、苦しそうに横たわっていた。

ツアーは、タチャイ島周辺でシュノーケリングをした後島に降り、自由散策をし
ランチ、その後プーカイというカニを見るウォーキングに出かけ、またビーチで自由散策をし
帰りにもう一度シュノーケリングをすると言う物だった。

たいていこのようなツアーには友人や家族と来る人がほとんどで
一人で泳ぐのもどうかなと思っていたが、またスイス人カップルが声をかけてくれ
一緒に行動させてもらった。何だかスイス人と縁があるなと思ってしまう今日この頃である。

タチャイ島。

blog5DSC_3625.jpg

blog5DSC_3614.jpg

blog5DSC_3646.jpg

blog5DSC_3643.jpg

blog5DSC_3687.jpg

blog5DSC_3736.jpg


海は綺麗だった。
砂浜も白く、まぶしいほどだった。
島はそれほど大きく無い。ビーチも一つ、長いビーチがあるだけだったが
2200バーツ払ったかいがあったなと思える程綺麗だった。
この日も丸一日ツアーで過ごした。帰りにまた写真を送るからと言ってスイス人カップルと
Facebookの名前を交換した。


カオラックを1/25に出発。
前日に宿のスイスファミリーと一緒にパヤム島へ一緒に行くと約束をしていたが、、
案の定寝坊してしまう。バスば9時に出発すると聞いていたので8時半に起きた後、バスを待ったが
どうやら違う場所でバスを待っていたらしく、それらしきバスが目の前を通り過ぎて行った。
しまったと思い早歩きでバスを追いかけると、バスは泊まっていたが500M以上離れていたので
間に合わないと思った。するとスイスファミリーがバスに乗り込んで行くのが見えた。
が、バスはそのままわしを置いて出発してしまった。後1分早く気付いたら。仕方ない。

カオラックからラノーンまでのバスは幸い1時間に一本は知っている様で次の10時のバスに乗る事にした。
次のバスに乗ればフェリー乗り場で会えるかもしれないと思いながらラノーンへ向かった。
カオラック~ラノーンへのバスは160バーツ。所要は4時間。

ラノーンでおり、そこからソンテウでボート乗り場へ向かった。15バーツ。
ボート乗り場、ター・ルア・パイ・コ・パヤム、と伝え、ここで降りろと言われた所で降りた。
ソンテウ内はほぼミャンマー人。ラノーンの町を眺めながらソンテウに乗っていたが、
ミャンマー人で溢れかえっていた。ソンテウを降りて歩いて10分程の所にボート乗り場があった。

チケット売り場に言ってみると、14時発のノーマルボートは既に出発済み。その次のスピードボートは
16:30のしか空いていないというのでそれまで近くの飯屋で時間を潰した。
スピードボートは350バーツで所要35分程度、ノーマルボートは200バーツで所要2時間程。
本数はあまり無いので、パヤム島に行くのであれば朝のうちにフェリー乗り場に行った方がいい。

スピードボートで一眠りするとあっという間に島についていた。
何とも静かな桟橋に降り立つと、気分が良くなった。カオラックやピピ島の様な
賑やかさは無く、地元の人々が普通に生活している感じが伺えた。それでも
ボートには多くの欧米人が乗船していた。

パヤムの港

blog5DSC_3770.jpg


バイクタクシーでそのスイスファミリーが泊まると言っていたビーチに行ってまず
宿探し。聞いたところによると11月~4月までがハイシーズンとなり、予約なしで宿を探すのは
少し難しいらしい。とりあえず目当てのバンガローに行って見たが案の定フル。アオヤイという名のビーチは
かなり長く、バンガローも10軒以上軽くあったので全部あたれば見つかるだろうと思った。
そして7軒目の宿でようやく部屋が空いていた。。


本日の宿:Friends Bungalow
1泊250バーツの屋根裏部屋。トイレ、水シャワーは共同。タオル、ブランケット、
free wifi(pocket wifiなので遅い。島なので高速な物自体ない)、蚊帳あり。レストランも併設。夜はいい感じ。
オーナーはタイ人のニッキーとドイツ人のソーニャ。特にニッキーの方は穏やかで親切だった。
完全にオープンなので蚊は来るし音も漏れるが、波の音が直ぐそばに聞こえる。
結果ぐっすり眠れた。

blog5DSC_3772.jpg


パヤム島には3泊。
セブンイレブンもATMもまだ無い島だった。
両替もしてくれる所は1軒。カオラックで1AUDが28バーツだったが、ここでは26バーツ。
両替をもう少ししておくべきだったと思った。ご飯などもやはり島プライスで少し高い。
バイクのレンタルは1日250バーツ。ビールは何処で買っても1缶50バーツ、カオパットが70バーツ程。

WIFIは多くのバンガローやレストランであるものの、かなり遅く、繋がったり繋がなかったりする。
島では特にする事は無かったので、水分を一日に何度も取りまくった。夜はビールを飲み続け、22時には
横になっていた。部屋からビーチまでは20M程で、寝ていると波の音がはっきり聞こえる。
目を閉じていても波を見ているかのような気分になり変な気分だった。
何度か目をさました時、外に出て空を見上げると、予想以上に星が綺麗に見えた。
夜の間は電気を切ってしまう所がまだ多いため、島全体が暗く、星もはっきり見えた。

夕日が綺麗なアオヤイビーチ。

blog5DSC_3783.jpg


アオヤイビーチに沿って多くのバンガローが建っている。

blog5DSC_3777.jpg


小さい島なのでスイス人ファミリーもすぐ出くわすだろうと思っていたが、中々出会えない。
このまま会えずじまいだな、と思っていると、最後の夜にわしの泊まっている宿に食事に来たのを発見。
よかった。会わない間にネラちゃんは熱を出し大変だったそうで、元気が無かった。

3日ぶりに会ったせいか最初はシャイな感じであまり近寄ってこなかったが、1時間もすると前の様に
あそぼうあそぼうと言ってくれた。食事を共にした後、ネラちゃんが追いかけっこをしようと誘って来たので
暗いビーチの中、二人で追いかけっこをした。気付くと他の子供達がわしらを囲み、全部で7人くらいの
子供達が集まっていたが、ネラちゃんはその子らを気にする事無く追いかけっこを続けた。
何度か捕まえた後、流石に疲れたらしく、ネラちゃんが砂の上に寝転んだ。わしもその横に寝そべって、
6歳のネラちゃんとしばらく星を見上げていた。ドイツ語が話せればもっと楽しいのだろうなとふと思った。

こんなことなら連絡先を聞いておき、初日から遊べば良かったなと思ったが仕方ない。
既に翌日のバスのチケットを買っていたため、ネラちゃんのママのサラにせっかく会えたのに
明日バンコクに行くチケットを買ってしまったと伝えると、変更しなさいよ、と言われた。
でも仕方ないわね、良ければ一緒に明日朝食をとって、その後カヤックをしましょうと誘ってくれたので
そうする事にした。ネラちゃんの体調も万全ではなかったのでファミリーは21時前には宿に戻っていた。

翌日約束の9時にファミリーの泊まっているBAMBOOバンガローへ向かった。
行ってみると息子のリノスが一人で座っていたので元気?とドイツ語で聞いてみると、グット、と答えたが
何だか様子がおかしい。不機嫌そうな感じだった。

サラが座っていたので聞いてみると、リノスと朝日焼け止めを誰が先に塗るかで少し言い合いをしたのが原因で
少し不機嫌なのよと教えてくれた。家族と言うのは面白い。

14時のボートに乗るため、ここを12:30に出る必要があった。
それまでの間カヤックに乗り、ファミリーと海に出た。海は穏やかだった。
ネラちゃんを前に乗せてカヤックを漕ぐ。ワタシも漕ぐといってオールを取りせっせと漕いでいた。
気付くと1時間半以上もカヤックをしており、腕が結構はっていた。

時間が来たので、一枚写真を撮りませんか?と言いファミリーと写真をとった。
息子のリノスのバイバイ、というと抱きついて来てくれた。ダンケというとバイバイと言ってくれた。
一方ネラちゃんはこっちを見ようともせず、サラに抱きついていた。バイバイネラ、と言うと、ネラは
首を横に振りながら、"ナイナイ"と言っていた。サラが通訳すると、Don't go, stay longer.と言っていると言う。

それでもサラが祐輔はバンコクに行くからバイバイしなさい、というと、
ネラは、"またチューリッヒに来てね"、と言ってくれた。
"わかったよ!"、といって、その場を去った。
出来る事ならもう1泊したかったな、チケットの変更を使用か迷ったが
明日になっても明後日になってもお別れする日は来るからと思い、そのままバンコクに行く事にした。
もしかしたら、何年たった後、スイスに遊びに行き、一緒にハイキングをするかもしれない。

blog5DSC_3842.jpg


宿をチェックアウトし、予定通り14時のノーマルボートに乗った。
そこからバス会社の迎えが来ており、ラノーン市内のその代理店で2時間程待つ事に。
代理店にはWifiもあった。待ち時間が長いのでどうしようかと思っていたが、
代理店で荷物を預かってくれたので、ラノーンの街も少し歩けた。

いかにもタイらしい雰囲気のラノーン。

blog5DSC_3850.jpg


座っていると、女性を連れた男性にこんにちわと声をかけられた。
聞いてみると彼は日本人でバンコクで声をかけたミャンマー人と一緒に旅行をしていると言う。
まだ2日目だと言うのに何で会ったばかりの二人がバンコクからこんな所まで来ているのか不思議だったが、
理由は聞かずに日焼けのせいかわしは疲れており、適当に話をしておいた。

一旦離れたが、また街中で偶然出くわした。その女性の方が後方からわしの方をわっ!と言いながら
脅かして来たのに一瞬驚き何かを取られるのか?ととっさに手を財布に当ててしまった。
悪い冗談はやめてくれよ~といいまた少し話をしたが、どこかに行くらしく直ぐに去って行った。
するとその日本人だけがわしのもとに戻って来て、耳元で何か呟いた。

その男は、ぼそっと
"ミャンマー人の女は簡単ですよ。2日目でやれましたよ"、と嬉しそうに言った。

興味ないから、と冷たくあしった。
するとそうですか、とだけ言い去って行った。
せっかくのいい一日だったが、まさか日本人にこんな形で気分を害されるとは思わなかった。
そういう人もいるのだそりゃ。

しかしまぁ、オーストラリアのブログに比べ、ま~~~具体的な事。
やはり旅をしているときと定住しているときの感じ方はかなり違う。
まぁ、それに旅中は時間があるというのもあるのだろう。

さて、バンコクに戻ろう。
選挙で街が荒れないか心配である。さらば。

ワーホリ終了。今でも恋しいシドニー生活。

2014年01月18日 20:07

                                 18:13, 1/15, バンコク、タイ


オーストラリアを離れ、現在またデモまっただ中のバンコクに戻って来た。
オーストラリアのワーホリ生活は3ヶ月の予定が結局6ヶ月に。
では、たった数回のオーストラリア編、最終章。収入のある定住生活はやっぱりいい。


振り返ってみればオーストラリアの6ヶ月は信じられない程あっという間だった。
別に英語の勉強のために滞在した訳でなく、日本帰国時最初の2ヶ月分の生活費をためるだけのために
行ったつもりだったが、結局存分に楽しんでしまった。そして期間もまた延びてしまった。
ほぼ日本語しか使っていないという、、、。

アフリカとキリマンジャロ登山を一緒にしたオージーの友達がいたおかげで
ローカルの人々や彼の家族とも触れ合えた。が、やっぱり誰も知らずにオーストラリアにきて
オージーの友達を作るのはみんな苦労していたし、難しいと思う。こっちでできた友人には
Gumtreeというサイトで日本に興味のあるオージーを見つけて週に一度カフェで話をする機会を作っていた。
それくらいこちらからアクションをかけなければ、クラブでナンパしてくる人かローカルの職場で
働く以外、殆ど知り合う事はないのかもしれない。

新しい出会いの多くがシェアフラットやバイト先で出会う日本人。
もちろん南米系やフランス・スペイン・イタリア、アジア系の
人も多かったが、今回のオーストラリアでは素晴らしく気の合う日本人と出会えた。おかげで
時間を持て余す事なく飲んだり食ったり、定住生活を満喫できた。なかにはストイックに英語を
勉強するため日本人とは親しくならないようにしている日本人も居るが、英語を話せる日本人だって
いるし、面白い日本人も沢山いるので極端に避ける必要も無いような気がする。

シドニー滞在が残り少なくなるにつれ、自分が思っていた以上にシドニーを
去るのが寂しいものとなっていたのには驚いた。シドニー自体にはこれと言った特徴や
気に入った場所は無かったが、それでもシドニーは自然に囲まれた住み易い町だった。
アジア人でひしめき合うシドニー中心部も便利で、住む事だけを考えれば申し分なかったし、
町はコンパクトで殆どの所が歩いて行ける。ボンダイだって、歩いて1時間と少しで行けた。
食事もタイ料理、インド料理などはそこらのレストランで食べるよりも安く好都合。基本的には自炊を
していたが、色んな物が食べられるシドニーは住み易い。

懐かしのバルコニーからの景色。ここで友達と話をするのが好きだった。

blog5DSC_2719.jpg


約五ヶ月働いた工場も1/3で終了。
まさか麺を作るとは思ってもいなかったが、仕事も職場もなかなか楽しかった。
仕事を止め、税金の還付の申請をしたのでそれについて少し。
やってみるとなんて事無いのだが、勝手がいまいち良くわからなかった。

週末の公園で。サッカーしたな。懐かしい。

blog5DSC_2772.jpg


<タックスリターンについて / As of JAN 2014>

オーストラリアで働くと普通であれば所得から税金を払うのが一般的。
わしの場合は給料の3割が税金として徴収されていた。税率は働いている場所によって違うが、
おおよそ12パーセントから30パーセント。ワーキングホリデーで働いている場合、その
ほとんどが申請する事で返ってくる。ただし、年間の収入が18,000ドル以下の場合のみ、ほぼその全額が
返る来ると言う物だった。わしも出国前にタックスリターンをやって来た。

今回利用したタックスエージェントはTAXBACK.COMというPitt stにオフィスのあるエージェント。
基本的に全てオンラインで出来るそうだが、色々聞きたかったので直接申請をした。

諸費用は、返還されるタックスが1100ドル以下の場合、およそ70ドル。
それ以上の場合は、返還されるであろうタックスの9%が費用として徴収される。
EXPRESS TAXというエージェントは費用が10%だった。
今回わしの支払済タックスは4000ドルちょいだったので、約3600ドルが返還される事になった。
申請は渡される申請用紙の記入、あとは勤務先から辞めた時に貰えるPAY SLIP。
それ以外は特にないので思ったよりも簡単。

振込は日本の口座でもオーストラリアの口座でもOK。
支払いは申請後およそ6〜8週間後。申請後はメールで連絡が来る。
と言う訳でわしは現在振り込み待ちである。

<スーパーアンニュエーションリターン>

タックスとは別にスーパーアンニュエーションと言うのがある。
いわゆる年金のような物で、勤務先が給料の9%程の金額を自動で積み立ててくれると言うもの。
これには同時に保険も加入されている様で、何かあった時に保険が下りるという何ともありがたいもの。
これも、申請をすれば積み立てられた分が返還される。

申請は同じタックスエージェントでやってくれる。
これも料金はたしか返還額が1000ドル以下であれば120ドル程度、それ以上の場合は
20%が費用として取られる。タックスリターンの申請とほぼ同じ手順だった。ただ、
パスポートのコピーが本人のパスポートであるという承認を警察にしてもらう必要があり、
パスポートのコピーを持って、ダーリンハーバーの警察署に行く必要があった。警察に言うと、
ささっと、手続きをしてくれ、直ぐに終わった。

スーパーの支払いはワーホリビザ失効後が基本となるそう。
まだビザが5ヶ月残っているというと、もうオーストラリアに戻ってこないのであれば、
ビザを現時点で無効に出来ると言う事だったので、そうしてもらった。それについての費用はかからない。


話はそれるがBBCで南スーダンの様子が放送されている。
"逃げるか殺されるか"、と地元の人がインタビューに答えている。
知らないうちで色々な事が起こっている。オーストラリアではメルボルン近郊でBushFire、カリフォルニアでも
大規模な山火事、カブールのレストランではまた自爆テロ。ここバンコクでもロシア製の爆弾が投げ込まれ、
30名が負傷している。

そんなこんなで最後の1ヶ月は今までよりもお金を使ってしまった。
サーフィンもするするといいながら、結局せず。それでも思い出すと楽しかったシドニー。

友達のバースデーバーベキュー。マンリー近くの公園で。
ここはバーベキューコンロが一つしか無いけど、広々として人も少なくいい感じ。
マンリーにCOLESもあるのでそこで肉を買い歩いて行ける。

blog5DSC_2883.jpg


フェアウェルパーティー。
同居人+友達を呼んで家でお好み焼きパーティー。楽しい家だったなしかし。
タイ人の同居人のトンもこの日は休みで最後と言う事で、今まであったタイ人を連れて来てくれた。
おかげでみんな泥酔。

blog5DSC_3126.jpg


シェアハウスで一緒だった彫り師のケイスケのスタジオにも行けた。
何とも広々としたスタジオでびっくり。彼もワーホリで来て、運良く彫り師の仕事にありついた。
リンクです。

ケイスケの職場

blog5DSC_3102.jpg


クリスマスはラックご家族のファミリーランチにご招待して頂き、
オーストラリアンクリスマス。家族の温かさを感じながら手作り料理を食べさせてもらった上、
わしのプレゼントまで頂いた。が、ワインを飲んで3時間程眠りについてしまい、挙げ句の果てに
お父さんに車で送ってもらう事になった。。。また再会する事があるでしょう。是非日本へ来てくれマイフレンド。

blog5DSC_2988.jpg


出国日が近づくにつれ、時間の流れる早さもどんどん早くなった気がする。
1/3に仕事を止めてから、1/10の出国日までタックス申請を含め、とにかくやりたいことを色々やった。
といってもたった1週間。そんなに色々出来るもんでもなかったが、最後にメルボルンだけは行っておこう
と思い、早めに取れば35ドルで取れるチケットを間近だったタメ85ドルで購入。
オーストラリア最後はメルボルンへ。1/7に出発した。たった2泊の小旅行。

メルボルンには2つの空港があるが、どちらからも市内へのバスの料金は同じ。
なので、別に特にどちらでもよかった。
メルボルンに行きたかったのはシドニーとの町の雰囲気の違いを見るのと、グレートオーシャンロードのため。
まぁ数ヶ月住んだシドニーと2泊しかしないメルボルンを同じ視点で比較するのは無理があるが、
個人的には住むならシドニーだなと思った。

メルボルン。

blog5DSC_3131.jpg


メルボルンの中心部はでかい。
シドニーの様にコンパクトな感じは無く、もっと整然としているおり、中心部を歩いてみても
大きな通りがいくつもあるため、何となく疲れてしまった。シドニーの様にジョージストリート
一本を歩けば町のすべてがわかってしまう様な感覚はなかった。

町には至る所にグラフィティが描かれていたり、路面電車が走っていたりと、
歩いていて何度も、"ヨーロッパみたいやな〜"、と言っていた。本当にその通りで、至る所に
ヨーロッパさを感じていた。シドニーとは町の構造そのものが違い新鮮だった。

ヤラ川からみるメルボルンCBD。ライン川越しに見るフランクフルトの様。

blog5DSC_3167 2


至る所にあるグラフィティ。グラフィティが多いと少しだけ町が暗く見える。

blog5DSC_3174.jpg


グラフィティで埋め尽くされた通り。

blog5DSC_3147.jpg


メルボルン初日は町を歩いただけ。
翌日にグレートオーシャンロードに行くバスツアーに行きたかったので駅近くにあった
ツーリストインフォで申し込みをした。ネットで申し込めばもっと安かったのだろうが
すでに前日だったので直接カウンターへ。

グレートオーシャンロードツアーのカタログを見てみると90〜160ドルと値段もバラバラ。
昼食がついていたり、立ち寄る場所が違ったりと様々。ただ前日だったので席のあるツアーが
あまり無く、結局120ドルのツアーに参加する事になった。大体のバス内でWIFIが使える。
朝7:30にHoliday inn hotel前から出発。グレートオーシャンロードまでは約3時間。
途中で紅茶のサービス。ドライバーは陽気なオージーで、こりゃまた良く喋る。

グレートオーシャンロードの12 apostlesは綺麗だった。
舞い上がる潮がその景色を幻想的にしていた。観光客も多いし、歩道なんかも
綺麗に整備されている。何だか久しぶりに観光気分。

グレートオーシャンロード。

blog5DSC_3262.jpg

blog5DSC_3282.jpg

blog5DSC_3296.jpg

blog5DSC_3315.jpg

blog5DSC_3412.jpg

blog5DSC_3224.jpg


3日目は電車に乗ってBrighton Beachへ。Sun Bathing Boxesという色鮮やかな
小さな家みたいなのがあるのを友達の写真で見た事があり、それを見たかった。
が、メルボルンの電車はカードを購入せねばならずそれが6ドルしたのに少し不満。

blog5DSC_3476.jpg


Brighton BeachからSt.Kildaというオシャレな町まで歩いた。1時間くらい。
途中メルボルンの町並みが見える。

blog5DSC_3444.jpg

St.Kilda。なんかいい感じの町並みだった。開放感があるかんじ。
サンタモニカみたいな雰囲気だった。滞在は時間がなかったので1時間くらいだったが、1泊しても全然よさげ。

blog5DSC_3499.jpg


そんな感じでメルボルン小旅行も終了。
晴れてわしのオーストラリア6ヶ月生活は終幕となりました。


というわけで、わしは結局野生のカンガルーもコアラもエアーズロックも見る事無く
オーストラリアを出国。このオーストラリアの大自然をもっとExploreしたかったが、、、、
今回はお預け。またいつか、お金をもってリベンジしたい。

Good Bye Australia, I'm gone now.

続く。

20days left. 6ヶ月のシドニー生活の終わり。

2013年12月19日 21:01

                              22:15, 12/19、シドニー、オーストラリア

ハイサイ。
シドニーでの生活は相変わらずめまぐるしく過ぎ去り、気付けばもう12/19。はえー。

さてさて、わしも既にオーストラリア出国チケットを購入し、ここを去る気持ちの整理も始めだした。
いや〜、本当に長い様で一瞬のオーストラリアワーホリ生活。沢山の友達も出来、想像以上に楽しい生活だった。
特にこっちで知り合った日本人の皆。特にシェアフラットで知り合った人が特に仲が良くなる。

オーストラリア。
結局、オーストラリア旅行をする事はなさそう。
金銭的にもあまり余裕が無いし、それにただ旅行をするだけだと費用が物凄い。
なので、このまま出国日の1/10までシドニーでおとなしくしていようと思う。
これまで色んな所に生き続けて来たのに、一度定住スタイルを取ってしまうと腰が重くなってしまっているのを感じる。

今やっている仕事は1/3で終わり。
5回だけジャパレスでも働いてみたが、やっぱりだめ。直ぐに止めた。
シェアアパートのベトナム人の紹介で、ローカルのレストランで皿洗いをやらせてもらった事もある。
時給は何と24ドル!でも一回行ったきり。いやはや、月〜金、毎日8時間がわしには限界なのだ。

まっ、何でも良いや。
シェアアパートの事を書こうと思ったんやった。

わしの今住んでいるシェアアパートはめちゃくちゃ楽しい。
たった今その内の一人が小銭稼ぎにセントラルに歌いに行った。
帰って来てそうそう、ゲットした小銭を机の上にばらまいて、数えながら一言。

"お金数えんの楽しっ!!”

そりゃ楽しいわなw

残念ながら数日前仲の良い3人の日本人シェアメートの一人が帰ってしまった。
メンバーが変わればやっぱり少しづつ雰囲気も変わる。あいた所にまた別の人が入って来て
また雰囲気も変わる。同じ日々は続かないのです。

最後に皆で撮った写真。

blog5936620_418766138252147_238949869_n.jpg

入居直ぐに撮ったそーまとなおや。
すぐなかよなったな〜。

blog5DSC_2126.jpg


部屋は時々パーティー状態にもなる。
コロンビア人がでっかいスピーカーを使ってクラブ化現象。
でも基本的には静かな方。11人も住んでるとは思えん。
狭いアパートに20人以上集まる事もあった。

blog5DSC_2144.jpg


溶けるような夕日も見られるアパートのベランダ。
土曜はダーリンハーバーの花火も見られる。いや〜景色のいい所は本当に良い!

blog5DSC_2061.jpg


再びシェアメートの2人。そーまとなおや。
23歳と22歳。マジで10歳も歳が違うのに、とても気が合う。
公園行ってサッカーしたり、近くのスーパー行ったり。日常をともに過ごすって感じの仲。
カンタンに言えば、アホ。

そしてジンジャーエールが大好きななおや。
ペットボトルが机の上に並ぶ隙間になおや発見。
そんな感じで夜は飯を食ったり喋ったり。帰って来たくなる家にまで成長してしまったw

blog5DSC_2442.jpg

そしていつもソファーで誰かが寝ている。

blog5DSC_2216.jpg


酒に飲まれた男がベランダでゲロを吐き、トイレに2時間以上も座り込む。

blog5DSC_2710.jpg


全く、迷惑なやつや。それもこれご愛嬌です。いや〜ほんま楽しいアパートでした。
良い思いでだ。こんな風景も今となっては過去。

blog5DSC_2617.jpg


それが言いたいだけです。はい、今日はそんな感じで終了。残り20日のシドニー生活を
存分に楽しみたいと思います。


おまけ。

オーストラリアで初めてヨットに乗り、友達のバースデーパーティー。
ヨットの上で飲んで叫んで海に飛び込むと言う最高な日曜日。

blog5DSC_2354.jpg


ボンダイビーチで見つけたトップレス。
赤い傘なんかさして何してんねん。でも画になる。

blog5DSC_2502.jpg


夏到来のシドニー。
冬より全然開放感があって町が活気づいている、気がする。
と言う訳で教会はマッピングされ、通行人が足を止める。
わしもしばらくそれを見たり。

blog5DSC_2699.jpg


公園で野外映画放映をしたり、花火があがったり、夏のシドニーはいい感じ。
日本が今、冬でみんな忙しそうにしているのが想像できん。

あ〜〜、まじで寂しくもなるなここを離れるのは。
旅人気分はどこへ行ってしまったのか。

ではまた。


Update


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。